感情が豊かな事程素晴らしく、大切な事はございません。

しかしながら、どうもこの日本においては、それを蔑視したがる風潮が見られなくは無い気は致す所になるのではあります。

近年(バブル期以後)については説明する必要も無いかと思われるのではありますが。
江戸川 乱歩の作中においても既に、「感情の爆発が…」等と書かれていたのを見た時には、かなり落胆させられました。

かけがいのない‘感情’。
ただ、余りにも複雑怪奇に入り乱れた(カオスの)秩序が有るのかは分からない様な秩序の社会の中においては‥
自分を推し通すとか、自分だけ甘えてずるをする等の方向へ導かせる道具にも、それはなりかねないという面は、有るのかもしれなかったです。
意識はしない迄も、全てをうやむやにしてしまいかねない爆弾にはなっている場合が、確かに有るのかもしれなかったのでした。

それは、悪い方向へ作用する場合には、害とはなりました。


でも‥
感情その物についてはやはりかけがいはございません。
人以外の全ての地球生物は、それを基に「生きて」います。
現代‘文明’社会においてそれは削られる対象にされて来ているはずとはなりますが‥
それはあく迄も、その社会構造に不完全性が有るから悪いという事になり、感情が悪いという事にはならないと、言える所にはなるはずであります。


自然の摂理の中に身を置いて生きていれば、素直に感情に従っていられる訳なのです。本来、それが正しいはずになります。
そこには、秩序を乱すという事も一切有りません。

どうしても「人工的に管理した社会」でするのであれば…
その事はいつも念頭に置いて、最大限考えてやらなくてはならないはずになるのではないでしょうか。