誰でも一番言われれば我慢出来なくなる事にはなるのかもしれませんが。


人と言うのは本当に物ぐさで、なかなか重い腰を浮かす事すらしないのではないでしょうか。
もしかしたらそれは、年齢と社会、場合によっては早くから周りの環境によってになる事が考えられますが。


何だかんだ、言ったり聞いたり(知ったり)ばかりしたがり、絶えずそれをしているのですが。
現実に、実際に自分の態度や姿勢を変え、行動には移せないのではないかという事になります。
行動も思考の顕れにはなりますが、本当に行動する際には、逃げたり諦めたりする羽目になりがちのはずです。
もう思考の段階で、「変える事はしない」と決め付けながら生きている大人は多いのではないでしょうか。
変えられないにしても、そんなはずは無く、ただ本心から変える気が無いのであるとしても。


その上、人の批判だけはすぐしたがります。
無意味な、自分にも相手にも得にはならない事でも本能に近い習慣に従って行う。そうなら、小学生が半分宙に浮いている様な有様になります。
(子供に罪は無く、大人の責任でも。)

それよりかは一歩進んだ場合にも。
相手を気遣い、とりあえずは揉めない事は前提にし、理性的に装いながら振る舞う場合でも。
あーだこーだ(相手を)分析しています。
それは、全く相手に利益ももたらさず、励みにすらなりません。
やはり自分や自分の居る側に立ち、その基準を「正当化する」為であるがごとく、関係無い人(立場の弱い、困っている)を批判している事に変わりはないはずとなります。

1cmたりとも動くのではありません。

その間に、多勢に無勢であるが故に、ダシにされているだけの‘被害者’は‥もう限界を過ぎているにも関わらず、更に時間を奪われ、立場も追い込まれたりするのです。

当事者について、勝手に論評し‥時間の無駄遣いをして、当事者を犠牲にしてしまっている事については、誰からも批判されたりはしません。
当事者に利益など無いのです。


世の中は今にわかに、そして急速にギスギスしてはおります。
あまりこれ以上深く書く事はしない事にします。
(熱し易く冷め易い、冷めて(覚めて)行く事を祈る次第になってはいます。)