人が死ねば。


死にそうになれば、または早い健康な時期からの場合でも、その人が「亡くなるかもしれない」と思われれば、それは心配にはなります。
生きていて欲しい側からの一方的な利害上からにはなるかとは、多くの場合に考えられてはしまいますが。
(本当に当事者の事を心配するのが、本来の心配や悲しみになるのではございますが。)
運が良くても、「と言う事は、「自分」いつかは死ぬのか…」との気付きに至る場合は有りますが。それでも、とりあえずは「自分は‘まだ’大丈夫だ」と安心はするでしょう。

死には限りませんね。
本当は「思う様には生きられていない」という境遇ならば、味方側の死や不幸にでも、「それでいいんじゃないか」と考えてしまうはずにはなります。

そうでない人は、まだ本当に「‘純粋’さ」を持っていられているはずになります。


そして…実際にそうなりましたら、初めて焦ったりして、運が良ければ、本当に当人の死を悲しみますが、余程薄情か変でない限りは、とりあえずは自分の身に置き換えるぐらいの事には至るはずです。
しかし‥歳月が経てば…
そこらやはり、「忘れる」のでしょう。
有名人だろうが誰であろうが。

生き残れば勝ち、死んだら負け。それは、味方側でも言えているのかとは考えられは致します。


死後、三途の川の向こうに世界が、むしろそちらが本当の世界だとして存在していれば、死後全ては逆転するはずになりは致します。



自分的には。
もう、本当に思い出す度に泣けてきてしまうという程の感情を持った‘普通の’日本人は、めっきりいなくなってしまっているという様に、言える所にはなっております。かつて(バブル以前)は、大半がそういう人達になってはいたはずにはなります。