30歳頃から無にしか逃げるところがなくなり、しかし分かるはずもなく、そして、18年間が過ぎたある夜、砂浜で、無ではなく有こそなくなった。少しは平安になった。その後20余年、誰に話すこともなく孤独のままにいた。有はなくなったのに、なぜ苦はなくならないのか、あれから頭では有はどこにもない、でも苦しみはおろせない。ある人は全ては許されているというが、自分を許すことなどできない。そんな者は、無でもあっても孤独から抜け出すことは許されない。

 

しかし、先日、V.Eフランクルの夜と霧のことを書いた短い文を読んだ。アウシュビッツ収容所の地獄の中でも、「どんな状況の下でも今の自分の態度を自分が決めるという自由、それだけは誰にも奪うことができない」という言葉に安らぎ∔感じた。どんな宗教書にも助けをえることはできなかったがなぜかこの言葉に助けられ、人と話したくなり、ブログを書いた。

 

色んなものをなくしてた、でも何を心配しているのだ、誰でもどんな状況下でも生きていける。この言葉で少し落ち着いた。