お久しぶりです。
もう先週のことですが、祖父が亡くなり、初めて身近な人の死というものを経験しました。
納棺から荼毘、納骨まで一通り付き添って、住職から話を聞いてきました。タナトフォビアを抱えている自分が、です。
これが、今日この記事を書こうと思った理由なのです。つまり、今回もタナトフォビア、死恐怖症についての記事です。
さて。
前回の記事でも書きましたが、僕の死恐怖症は「死んだあとの自分の意識や魂が永遠に失われること」についての恐怖です。
我流の克服法で最近はかなりマシになってきた方ではありますが、それでも時々襲いくる恐怖は止めようがありません。
死恐怖症は突然やってきます。
この世のものごとは常に終わりに向かって動いています。なので、僕はたとえ明日の昼飯についてでも、考えているとしだいに終わりのことを考えてしまいます。
とにかく死ぬのが恐ろしい。そんな自分にとって、葬式は苦痛でした。
ですが、葬式に参加した結果として、僕の死に対する考え方はだいぶ穏やかなものになりました。
何がそうさせたのでしょうか。
亡くなると体を清められ、修験者のような格好をさせられます。納棺の際には藁の笠と草履、それと金剛杖という杖を収めます。こちらもまた修験者のよう。
葬式の際には戒名をつけられ、お経を読まれます。
その他にも葬式における形式や決まりは様々ありますが、これらにはある共通点があります。それは、これらの行為が、
死後の世界が当たり前に存在するという前提で行われている
ということです。
それがどうしたと思うかもしれませんが、僕のように「死んだあとどうなるかわからなくて怖い」と考えている人間にとって、死後の世界が、たとえ想像であっても、しっかり組み立てられているというのは大きな強みになるのです。
僕は今まで死後の世界というものは自分で想像した不安定なものでしかありませんでしたが、この葬式を経て仏教における確立された死後の世界を教わることで、不安がいくらか減ったのでした。
これが、僕の死に対する考え方が落ち着いた理由です。
もちろん今でもタナトフォビアは完全には克服できていませんし、昨日の夜も悩まされていました。
ですが、今回の一件で恐怖に立ち向かうための心強い武器を手に入れました。
皆さんも、といってもタナトフォビアの方ですが、前回紹介した方法に加えて住職の方に死んだあとのことを思い切って聞いてみるのもいいかもしれません。
ネットで情報収集もいいですが、やはり他人、特に住職の方などに教わると安心感が全く違いますよ。
今日は内容がいまいちまとまっていなくてすみません、この記事がタナトフォビアの方々にとって少しでも気を紛らわせるものになることを祈りつつ、葬式に行ったよという報告でした。