海岸にも道端にも生えるマッタケ | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

マッタケと言えば山奥の赤松林というイメージがある。

道端や庭山など身近な場所のイメージは湧かない。

庭に生えれば最高だろうが、それもあり得る。

 

赤松は山奥に多く分布、山道のガードレールのすぐ横でもマッタケを見つけたこともあるが、生息条件さえ満たせばアスファルトのすぐ横でも問題はない。

 

マッタケは海岸の波打ち際から3m、高さ5mの場所にも生える。 しかも赤松ではなく腕の太さ程度の細い黒松の根の付近にも生えて来る。

伊勢志摩では海岸付近はほとんど黒松が群生、秋の台風時には潮もかぶるし「塩マッタケ」になるだろうな。

 

マッタケはシイタケなど他のキノコのように人工栽培出来ない、だから目が飛び出るほど高価なキノコ。

栽培出来ないのはそのメカニズムがはっきりしないからであり、わからないのは調べ方が間違っているからだな。

病不調のメカニズムも同じで、わからないのはマッタケも同じだ。

 

これまでのやり方でわからないのなら、視点を変えれば可能性は高い。 わからない調べ方に固執する必要もなく、学ぶこともないのだから。

「通常のやり方では栽培出来ない」・・これが立派なヒントだな。

 

マッタケと他のキノコの大きな違いは生息地の条件。

多様なキノコが喜んで生える湿度が適度な表土では生息出来ず乾いた表土を好む。

海岸付近に生えるマッタケは表土の赤土が剝き出しで草も生えない場所だった。

岩のように硬い山の赤土に松葉がパラパラ・・

地肌が丸見えだな。 マッタケのイメージとは程遠いだろう。

 

つまり非常識なキノコがマッタケであり、常識的ではない解明法を用いればよいのだ。

野人理論の・・見える世界と見えない世界、成分論とエネルギー論の違いのようなもの、たいして難しくはない。

 

40代の頃、このマッタケ発生の仕組みをある程度解明した。

あとは数年間の確認実験だけだったがその時間もなく,関心も情熱もなかった。

マッタケも水虫も条件は似たようなもの、条件が揃わなければマッタケも水虫も消え去る。

水虫退治もマッタケ栽培も同じような原理だな。

 

真面目に励んでいれば今頃は・・野人のマッタケご飯・・いや、マッタケ御殿クラッカーが建っていたかもな汗

 

老骨に無知打って今も駄馬ダバダ~と働く日々・・水戸のご隠居が羨ましい。

野人の運命を変えたこのマッタケ・・マッタケご飯にして味わって食べるかな。

 

 

6年前の記事だが・・

 

ヤマハ時代、お野人はマッタケやハッタケ、アミタケやナメコ、キクラゲなどキノコ採取と探究に没頭していた時期がある。 野生のエノキタケは大好物。

マッタケも自在に採ってスタッフの賄い食にして食べていた。

 

当時部下だったまむし頭もマリーナのハゲ山にへばりついてマッタケ探しに精を出した。

マリーナ会員の入港時、入り口海岸の岩にへばりついていたまむし頭の格好が話題になったが、何をしているかは内緒だった。

正直に言っても信じてはもらえないし・・

 

マッタケは海岸から5mの、表土がカチカチ赤土のハゲ山にも生える。

このマッタケ小山は部下が立ちション中に発見、マリーナ無線アンテナのすぐ横だった。

 

マリーナ敷地内でマッタケ・ハッタケ・アミタケやジネンジョがとれ、桟橋からはスミイカが釣れ、桟橋下は5mも潜れば伊勢海老やサザエやワタリガニや大型メバルがとれたから、食欲の秋は他の社員達も羨む豪華な賄いランチになる。

 

 

 

6年前のマッタケ記事

 

 

 

 

マッタケ自生 左端の海岸岩肌のすぐ上

 

 

このマッタケ食べたい人 クリックドキドキ

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