植物に心はあるのか・・
そう聞かれる度に、「ある」と答えている。
心がない生物など存在せず、あるから生物なのだ。
生物とは自らの意識で判断、行動する有機体で、思いはあっても意志がなければ行動に移せず、動けない。
歩き、飛んで移動出来る動物も、歩けない植物も自ら判断して生きている。
植物は歩けないからと言って移動出来ないわけではない。
環境に合わせて立体的に、上にも横にも地下にも自在に体を伸ばし、その判断も的確。
虫を使って受粉させ子孫を増やす知恵もあれば、落下傘のように種を風で飛ばす知恵もある。
地表を這うだけでなく地下トンネルを掘って子孫を増やす技も、他のものに巻き付く技も、果肉を提供して中の子孫を動物に遠くへ運ばせる技も持っている。
これらはすべて偶然であるはずもないのだから、心も意志もある。
最初から植物はそのように出来ている・・などと言葉でまとめられるものではなく、知性の成せる技。
心なくして意志も知性も育つはずもない。
この神技とも言える植物の知恵と行動力、神様はそれほどヒマでもなく手伝えるはずもないのだから、健気で感心ではないか。
動物のように歩けず、脳機能もなく、手も使えず・・
「足腰も動かさず 繁殖・・たいしたものだ」
・・と、褒めてあげたい。
お野人、動物から学んだことより植物から学んだことのほうがはるかに多いが・・
「植物から直に教わったのだから、心があることは間違いない」
「教わったのだから・・その点は野人より賢い」
そう言ってしまえばあまりにも風情がなく理論にもならない。
まあ・・自然界の道理を追って理解すればよい。
動物のように脳や内臓や筋肉もなく、いったい心は何処にあるのか
動物だって心が何処にあるのかわからず、人間だって科学技術を結集してもわからないのだから、何処にあるのかなどたいした問題でもなく困ることもない。
「ある」「あるから生きているし自由に動ける」
それでよいではないか外科小児科・・
呼び名は、心でも意識でも魂でもかまわんが、そこからの指揮によって生物は行動出来る。
指揮系統が乱れて上手く行かないのが不調・病気であり、原因も簡単。
自らの指揮が及ばない体の各部署は独立した指揮系統を持っている。
自己修復力、つまり自然治癒力もそれに当り、それが出来なければ代謝や細胞などに故障が生じる。
他の生物のように地球上で普通に生きていればそのようにならないのだから、普通ではない余計なことをした場合にそのようになる。
余計なことなど人間にしか出来ない。
理に反する事、何もしなければ問題は最初から生じない。
多くの精神疾患や体の不調の原因も、復元法も同じだ。
結果もそのようになるからやって見れば良い。
生命とは無数の生命の集合体、運命共同体であり、ひとつの生命は宇宙規模のオーケストラのようなもの。
一個の単体細胞までが自らの役割を忠実に果たし、調整や修復まで自分でやるのだからそうなる。
その命運は総指揮者である「心 意識」が担い、意識だけが行動計画を立てることが出来、動物なら筋肉を自在に動かせるが他の部署への指揮は及ばない。
オーケストラの指揮者がそうであるように、全体は指揮出来ても各部署の個人能力まで指揮は及ばない。
この生命の仕組みは全体に及び、パーツごとに引き出しに入れて研究しても解明出来るものではない。
指揮系統も血液も全体に及び繋がっているのだから分けて考えることは出来ない。
野菜に水と肥料を与えれば育つ・・
これだけ知れば栽培、農業はやれるが、植物の仕組み、表土の仕組み、生物循環の仕組みの理解とは何ら関係がない。それと同じようなもの。
それらが理解出来なければ異変の対処も出来ない。
動物、人間も同じなのだ。
文明の現状はそうなっている。
異変にまったく対応出来ず、長期にわたって先の見えない研究の迷走が続いている。
しかし、文明と離れた自然界はそうなっていない。
そこに間違いを修正するヒントが溢れているのだが、そこに目を向けない限り気付くこともない。
環境に応じて変化する植物の知恵 詳しく解説
http://ameblo.jp/muu8/entry-10234891917.html
エネルギーを求める人間の願望
http://ameblo.jp/muu8/entry-10255749913.html