遠い深海の底から、高い山の湧き水の水源地まで行き来するうなぎ・・
回遊は5千キロにも及び、食べずに苦もなく泳ぎ続けることが出来る。
海水と淡水、しかもこれだけの高低差で生きる海洋生物は他にいない。
小学生の頃、標高数百mの山頂付近の源流まで行った。
そこから水が湧き出し、水を飲もうとしたら岩穴からうなぎが顔を出した。
目がハートになり食べようとしたのだが、ここまで頑張ったうなぎに敬意を表して見逃してあげた。
料理道具もないし持ち帰りも大変だったこともあるが、家の周囲でうなぎは幾らでも獲れる。
さっぱりわからない植物の異端児は「竹」
さっぱりわからない海洋生物の異端児は「うなぎ」
どうにもならん陸上動物の異端児は・・人間 だな、やはり・・
いらんことばかりして、他の動植物にも地球にもご迷惑をおかけしているのだから。
人間から学ぶことはあまりないが、竹やうなぎの生命力から学ぶことは多く、野人のライフワークと言える。
何故、他の動物全てが間違えず、いらんこともしないのに、最も頭脳が進化した人間だけがするのか・・間違えるのか
産卵も含めていまだに生態が解明されない生命の神秘とされているが、このうなぎが生命の仕組みを野人に教えてくれた。
昨年11月の記事・・
エサをやらずともうなぎは痩せない。
6月に食べ残したうなぎ1匹も、5カ月経ったがカゴの中で丸々と生きている。
近々食べるが1カ月くらいで痩せるはずもない。
謎の多いうなぎの生命力は凄まじく、その生態、生命力の仕組みはいまだ人知での解明はお手上げ。
しかし・・お野人 わかっちゃった
野人の理論に参考文献などは最初からない。
うなぎの耐久力も行動も、人間の科学で解こうとするからわからない。
食を、栄養学とカロリーでとらえるから理解出来ないのだ。 生命は成分で解けないのは現状が示している。
物質レベルでしか見られないこの考え方が、農業の間違いを引き起こし、環境だけでなく健康の悪化を招いた。
生命は意識と体で出来ている。
体は物質だが、意識は命を持つエネルギー、どちらも併せ持ったものが生命体。
体の大半は有機で出来ているが、元は無機であり、生命エネルギーを失えば朽ち果てて、やがて元の無機に戻る。
つまり、生命とは意識の事であり、体は水と大気の寄せ集めだと考えれば良い。
肉体はバブルのようなもので、よく言われる「体は借り物」と言うのも間違ってはいないな・・
これも人間の本質が何処にあるのかを示したものだ。
エネルギーと言う言葉は氾濫、個々の感性で自由に使われているが、それらを物理的に証明出来る者はいない。
生命体はすべて、生命エネルギーである意識によって行動する。
これが野人の「生命エネルギー論」の基盤にある。
その動力は大気中の電気であり睡眠で得られ、意識の維持制御は他の生命のエネルギーであり、食べることで得られる。
生命は生命によって育まれている。
食材の生命エネルギーが完全でなければ意識の維持制御は出来ない。
意識が制御出来なくなれば、細胞の修復も出来ない。
病や不調はこれが原因だ。
科学的・物理的な証明もそう難しくはない。
この道理から見れば今の栄養学、カロリー論、健康法などは生命維持とは関係がなく、何十年経っても完全な結果が伴わないのはそれが理由だ。
無理があり、誰がやっても同じ答が出る物理論になっていないのだからそうなる。
エネルギー論が完成するには多くの「何故」の事例があった。
子供の頃からの「何故」
東シナ海、三重に来てから野山での「何故」
竹や葛の尋常ではない生命力、茶園の怪、シマラッキョの復元力・・
タネ、挿し木、ナマコ、うなぎなど身の回りには幾らでもある。
物理学者の原人も同じ疑問を持って学び続けた。
それらを生物学は、最初からそういうものだ、こうなっている、こうであろうと思われる・・と簡単に言葉で済ませて来た。
「何故」の明確な答えを出す物理が存在しないからだ。
続く・・
うなぎの 何~~にが わかっちゃった のか
話せば 長くなる・・
天然うなぎ獲りの夏
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