ゴーリキマリンビレッジはレストガーデンのイメージが強いが、事業の中心はボートを預かるマリーナでありレンタルボートもある。
遊漁船業と遊覧も含めて大型から小型艇6隻を保有している。
鮮魚販売と加工製造、さらに農業、むー茶、むー塩の製造販売も始めた。
マリンビレッジでのセーラビリティ伊勢のボランティア活動を前回紹介したが、ムーのヨット観、マリンスポーツ体験を書いて見よう。
業務としての期間が最も長い割には一度も詳しく触れていないし、画像も出していない。
好きでも嫌いでもなく、あくまで仕事としてやったので趣味でスポーツも狩猟もやらない、生きる為以外の運動も殺生も嫌いなのだ。
狩猟、採取、農夫・・と思っている読者も多いが、以前は船乗りダイバーであり総合マリンスポーツインストラクターでもあった。
ディンギーヨット、クルーザーヨット、セールボード、水上オートバイ、水上スキー、ダイビング、トローリング、ルアーキャスティングなどを教えていた。
水上オートバイとセールボードは創世記、セールボードは商標登録のウィンドサーファー一種で教本もなく、独自の初心者テキストも作った。
20代はヤマハ新作艇の実践テストドライバーもやり、小型艇から大型艇へと移行するマリン事業の創成期をヤマハ発動機の設計陣と共に歩いて来た。
ボート波及の為にボートフィッシングテキストも考案、講習とガイドに明け暮れ、川上源一の指示でボート営業マンやマリーナ関係者に釣りを教えた。
運用だけでなく、じいさん命令により発動機本社工場で、ヤマハ船外機の完全分解組み立てなどのメカニズム、FRP修理まで仕込まれた。
むーは、じい様の果てしない要求に翻弄され続け、魚からメカまで海のオールラウンドプレーヤーにされたが、それが底辺の広い野人の立体思考を生んだとも言える。
知識ではなく全体の仕組みを頭と体で知ることで見えない視点も見え、すべての道理が繋がる。
数十年前のヤマハマリンジェット1号艇の全盛期。
観客の前でデモンストレーション、アクロバット走行する精悍な「むー」・・想像出来んだろうな・・
今はタコや大根のイメージが強いし。
ヤマハ発動機の社員ではなく、所属は楽器中心の親会社ヤマハだったが、両社のオーナー川上源一の直轄特務員が故にヤマハ発動機とのパイプ役も担った。
ダイバー船乗りが専門だが、船舶設計、海洋学、物理学、自然科学、魚介類、植物学も駆使した。
ディンギーヨットは60度以上ヒールさせて浸水させ、舷側を跨いで海面からはみ出たセンターボードに片足を乗せてバランスを保ち、立ったまま操船する野人独特の曲乗り「ロデオヨット」が得意だった。
36フィートクルーザーヨットも、エンジンを使わずメインセールを張ったまま風力だけで狭い湾の奥の桟橋に着岸するなど、物理の探究が好きだった。
何かやらないと退屈で気が済まないセーカクだったことは確かで、親父ギャグもそこから生まれたが、じいさんが笑うことはなく通じなかった。
セーラビリティに全面協力はしているが、ヨットにはもう15年以上乗ったことがない。
野菜に木の実に魚・・最近はしつこく「タコ」ばかり書き続けたが・・
脳みそのベースは・・・ハイテク・むー ・・だ。
漁師・・農夫・・のイメージ、少し変わったかな・・
やはり・・変わりそうにないか・・
野人エッセイす・・しばらく「文明人エッセイす」に変更するか。
アクロバット逆立ち走行して コケて・・
スネを強打して以来 乗っていない
涙が出るほど 痛くて 痛くて・・
キライになった
ヤマハのテストドライバーだった野人1
http://ameblo.jp/muu8/entry-10563487288.html
ヤマハのテストドライバーだった野人2
http://ameblo.jp/muu8/entry-10563711167.html
潜ってお魚引きずり出せ! じい様の無理難題・・
http://ameblo.jp/muu8/entry-10099485908.html
今は・・協生農業に 燃えている・・が
ベースは自ら確立した協生理論であり
地球物理学農法なんだよ 超・・ローテクノロジー
海に生まれ 川から山へ そして文明 畑・・
人類の歴史をたどれば 何処で間違えたか気付き
そして最後は 原点へ行き着く