地球上のすべての生き物がそうであるように、食べることは生きる上で最も基本的な本能。
親を知らない虫でさえも、生まれながらにして自ら食べ物を選べる能力を持っている。
当たり前のことだが人間だけが唯一異なる道を求めた。
それは食を楽しむことであり、長い年月を要して独特の「食文化」を築き上げた。
美味しい物を食べることほど幸福感を味わえるものはなく、野人もそれを謳歌している。
今では世界各国、それぞれ特徴のある食文化を育んでいる。
人は食文化にその美味しさ美しさだけでなく健康をも求めている。
食材の持つ成分養分、バランスを配慮し、その中でも野菜や果物に最も期待しているようだ。
戦後、栄養分重視に始まり、ビタミン、ミネラル、繊維質、酵素と、追い求めるものも時代と共に移り変わってきた。
脂肪分、糖分を意識、カロリー計算しながら朝、昼、夜と、その苦労は察して余りある。
健康目的とは言え、人はいつから食べ物の成分を頭で考え、組み立てるようになったのだろうか。
それは不健康になったから・・その時からだろう。
そうならなければそのようなことを考えるはずもなく、食べたい時に食べられるものを好きなだけ食べているはずだ。
不健康の原因は、脂肪、糖分、塩分、カロリー過多だと言うのだからこれもまたおかしな話だ。
さらに、添加物や農薬や様々な化学薬品がこれに続く。
体に悪いのなら最初からそのようものを作らず、追い求めなければ良かったのだ。
しかし、高カロリー、脂肪分、糖分、塩分は生き物にとって不可欠な食品だ。
長い歴史の中で「生き延びる」為には必要、今でも動物は食べ物のあるうちに食い溜めしてたっぷり脂肪を蓄えるし、人の体もそのようになっている。
体は伸び縮みしながらも平均を保っているはずなのだが人間だけはそうではない。
膨らみはしてもなかなか元に戻らず四苦八苦している。
脂肪を蓄えたメタボは万病の元、蓄えなくとも、足りなくとも、ガンや糖尿病など、病気になる者はなる。
どちらにせよなる時はなり、今や全員が予備軍になってしまった。
多くの人はこの社会の「食の常識」を信じて疑わず、忠実に努力しているのだが、この「人間の道理」を、「何か変だな~?」と思う人もいることだろう。
悪者にされた脂肪や肉や糖分はあまりにも可哀そうだ。
動物に必要なこれらは3日分食い溜めしようが何の問題もないはずなのだ。
そもそも食とは健康を考え、気にしながら食べるものではない。
それは誰もが納得する森羅万象の道理だろう。
鹿や牛は草ばかり、人の言う「野菜サラダ」ばかり食べてたっぷり脂肪を蓄える。
そこには植物が動物性脂肪に変る仕組みがあるからであり、当たり前のことだ。
それは人にとっても「嫌われている脂肪」が最も大切だと言うことに他ならない。
続く・・