南西諸島の敗北から十数年、鳥羽志摩に定着した野人は海上保安部に友人知人は多くいた。
海の学校だったから至る所で先輩や後輩にも出会う。
鳥羽海上保安部や分室の歴代保安部長や室長とも交友があり、救助、訓練などの依頼も引き受けて来た。
水上オートバイを取り締まる為に必要と頼まれ、海ザル達を大勢集めて海上特訓もした。
当時、野人は合歓の郷マリーナとビーチの責任者、ヨット、セールボード、ヤマハマリンジェットのインストラクターでもあり、ジャンプや特殊ターン、ロデオなど曲乗りのアトラクションを客の前で披露していた。
またマリーナの会員が違法や事故などのトラブルを起こし、お世話になる度に海上保安部に頭も下げに行った。
罪は罪なのだ、親しくとも手加減は無用、もみ消しを頼んだこともない。
互いに助け合い、海の安全を願うのはどちらも同じなのだ。
海ザル達は懸命に頑張っていた。
しかし護身術を駆使して戦わねばならない時は来た。
戦った相手は海ザル達ではなく国土交通省の中にあった。
海の安全を守り取り締まるのは海上保安部だが、法にのっとり許認可をおろすのは国土交通省で、各地の海運支局がその役割を担っている。
業務の関連性から同じビルに海運支局と海上保安部が同居している。
事故ではない法令違反の是非はこの海運支局の判断で決まる。
野人はこの海運支局の人達でもなく、そこに定着した解釈、判断と言う「常識」と戦ったのだ。
彼らは国家の法の番人でもあり、野人は国家の常識と戦ったことになる。
罪を憎まず人を憎まず、罪とはこの常識の矛盾、間違いの事を指し、その人達ではない。
それが国内で統一され、それに準じて海の警察官でもある海猿達は取り締まっている。
人数にすれば二つ合わせて数万にもなり、野人VS国家を人数で表すなら1人対数万人。
その戦いに真っ向から挑んだ。
争いは避けたかったが降りかかる竹の子は何とやらと言う。
野人が仕掛けたわけではないが防御の為に戦うしかなかった。
このままではまた違法と断定され過去の敗北の二の舞になりかねない。
多勢に無勢だが「道理」に数など関係はない。
「護身術の真髄」の出番はやっと来たが負けるつもりはない。
負ける戦いはしないと言うのは護身術、兵法の基本だ。
野人の護身術が通用するかどうかはその使い方次第。
相手は物ではなく人であり、駆け引きも個々で異なる。
将棋で言えば歩が王将の群れを相手にするようなものだが、期に応じて運用を誤らなければ事は成せるはずだ。
続く・・
海猿野猿と青い羽根
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