パスカルのユンボーと野人の学びの哲学 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

科学は進歩し、ユンボーやブルドーザーが土木工事を画期的に変えた。それまでの人海戦術でやっていた大工事も一人が苦もなくこなしてしまう。ダンプカーも荷台を持ち上げ簡単に土を降ろす。知っている人もいるだろうが、それらはある発明がもたらしたものだ。来る日も来る日も「あるもの」を見て、「なるほど」とひらめいたある人物が発見した原理。あるものとは一個の軟式テニスボールだ。指先で一点を突くと周囲は同じように膨らむ、つまり力は平等に広がって伝わる。これが小さな力で大きな力を生み出す「パスカルの原理」であり中学の時に習ったと思う。氷が水面から頭を出したアルキメデスの原理も科学に画期的な技術をもたらし、パスカルの原理から「油圧装置」という途方もない化け物が生まれた。密封されたピストンにオイルを満たし、小さな力を加えるとピストンが動いて大きな力を生み出す。自転車の変速機は歯車だが重機は密閉したオイルと考えれば良い。軽快な車のパワステハンドルもパスカルのおかげだ。

今回の工事では「人間の知恵」と言うものを強烈に感じた。いくら強力な重機があろうが判断は人間だ。マニュアル通りの構築物と違い、今回の工事はぶっつけ本番でやりながら考えるしかなかった。うまく行かず何度か途方に暮れた。知恵と重機をどう使うかによって成るものが成らず、成らないものが成る。あきらめるか成し遂げるかは人の知恵次第。

学校の勉強は勉強、社会で役には立たないと思っている人は多い。野人は子供の頃から「目的」を見続けた。「何でそんなもんがいるんじゃ?」と。たいした意味もなく、役に立たないものは関心が湧かなかったのだ。素晴らしいと思えばとことん勉強する。先生に教えられるままではなく、その度に自分で判断していた。目的がわからなければとことん聞いた。だから高校で英語の辞書を開いた事は一度もない。あんなものは何の役にも立たないからだ。3年やっても6年間やっても喋れない英語など野人には必要ないし困らない。必要になれば自分でやれば良い。進学だったがテストが0点でも気にもしなかった。家に帰ってまで勉強しないが国語数学物理化学は90点以上だった。一番好きな日本史は半分しか点がない。つまり、人名や年代などまるで覚えられないし覚える気もなかった。たいして必要でもない。歴史から学び、愚かな事を繰り返さなければそれで良い。50点で十分だ。

このパスカルの原理やアルキメデス、数学では方程式や三角関数などは尊敬に値した。社会に出てからもその思考手法は随分役に立ち、時には命も助けられた。だから心から先人達に感謝している。

勉強とは本を読んで用語を覚える事でもなく○×でもない。目的を見据えて道理を理解する事であり、社会で使いこなす為にやっているのだ。受験の為ではない。一番の宝物は、そこまでに至ったその「考え方」だ。それが「応用」に繋がり、さらに創造力を育む。公式や答えを覚えても意味がない。そう叫ぶ度に野人は幼馴染の女共にバカにされた。

しかし公式などなくても道理がわかれば答えは出せるものだ。

誰かが不可能の扉をこじ開けなければ文明の基礎は出来ない。たった一人の視点と思考が文明を大きく変える。バカと言われようが変人扱いされようが、野人は文明の恩恵だけ受けるよりもこじ開けるほうがいい。科学技術一辺倒ではなく地球上の生命は平等に共生出来るはず。頭脳はその為に使うべきだろう。野人は土に帰る瞬間まで人間の誇りを持って生きていたい。だから愚か者扱いされようが「老後の生活」など一度も考えた事がない。それが自分で選んだ道。幾つになろうが新天地に向けて航海はしても後悔などする気もない。おかしなプラス思考でもなく、マイナス思考でもなく、中立が陰陽のバランスがとれて丁度良い。それを適当と言う。