火葬代10万円預かる | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

ブログテーマ、昼下がりのジョークの「脳味噌の重さ」でも紹介したが、野人の古い友人に80歳をとうに超えた元東大工学博士がいる。既に他界したサントリーの佐治会長が高校の同級生で、連れて来たこともある。性格が極端に頑固で、離婚し、子供達とも縁を切って、会社も閉じて悠々自適の別荘での一人暮らしだった。その気性ゆえ長く続く友人は数えるほどしかいない。野人とは親子以上に歳が離れているが大事な友人だ。神戸大震災では彼の本宅だけ残って周りは倒壊した。強固な耐震構造になっていたのだ。しかも一ヶ月外に出なかった。地下室に保存食を備蓄していたのには感心した。やっと連絡がとれて、海路から救出に行こうとしていたのだが、「心配いらん~」の一言で終わった。まるでバックトウーザフューチャーに出てくる博士のような男なのだ。彼からは物理学や発想の視点と世界の食糧事情を徹底して教わった。口癖は「君のおかげで晩年は本当に有意義な人生が送れた。心から感謝している」だった。晩年でも時間を発明と研究に費やし、流体力学や推進力でも野人と理論を戦わせた。活け花にピアノにステンドグラスと言う趣味も盛んで、社交ダンスの大会にもマメに出ていた。ボートを持ち、広大な芝生もすべて果樹園と畑に変えて自給の暮らしをしていたが、野人は「海と山と畑と食」の師匠だったのだ。夜は別荘で何度寝食を共にしたか数え切れない。畑で採れたパセリを「こんな旨いものはない」とボールに山盛り一杯、何もつけずにムシャムシャ食べるのだが、それを野人にも勧める。「山羊じゃあるまいし、そんなもん食えん」と固辞していた。その彼がある日、野人に十万円が入った封筒を見せて言った。「僕が死んだら火葬場に持って行ってこれで燃やしてくれ」と言うのだ。つまり火葬代だ。「ここに入れておくから」と引き出しに入れた。野人は「いいよ」と答え、「おつりと・・灰・・どうする?」と聞いたら、「畑に蒔くとカルシウム分になるから収穫して食べてくれ、つりはもういらん」と言うのだが下痢しそうだ。彼はかねてから葬儀などいらないし、家族も縁を切ったから連絡しなくていいとは言っていた。死んだら何も残らないと言う考えで、野人もあえてそれについては反論した事もなかった。議論するものでもないのだ。嫌でも自分で実験する事になる。それからしばらくして「燃やすのは待ってくれ」と言う。「え~?せっかく肥料楽しみにしていたのに~」と言うと、何でも友人に頼まれて「検体」として研究室に提供すると言う。「じゃあ冷凍してクール宅急便で送ればいい?」と聞くと、連絡すればあちらから運びに来ると言う。それからしばらくしてまた言ってきた。「検体は・・止めた」と。どうも相手とまた喧嘩したらしいのだ。かくして10万円の封筒はまた元の引き出しに収まった。4年ほど前にいよいよ体が不自由になり彼なりに考えた。そのままでは人に迷惑をかけると、大阪の病院の近くに所有するマンションに引き払い、時々掃除や買い物洗濯などの介護を受けている。大動脈瘤の手術後の回復もおもわしくなく、医療機材も離せない。別荘の家財道具も処分に困り、一部野人がもらって後は処分した。野人が一人寝起きしているこの借家の個人事務所の家具は彼からもらったものだ。畳の上に設置して来客、仕事、就寝兼用にしている本牛革のソファーセットは200万くらいしたと言ったが定かではない。テレビも鏡台もデカイ。イタリア製の古いワゴンや本棚も、この質素な和室の借家にマッチするはずがないのだ。ワゴンは電気釜置きにした。下手くそなバレリーナの絵ももらってくれと押し付けられた。ステンドグラスのデカイのも。ここには彼からもらった家具以外は何もないし、いらないのだ。「生前形見分けだ」と彼は言ったがまだ生きている。89歳になるが、時々「元気~?」と電話がかかってくる。形見になるのはまだ先のようだ。