毎年、夏のこの時期になると思い起こす事がある。
劇団四季の浅利慶太さんとキャッツのメンバーだ。
随分昔の話で、20代後半だったが、鳥羽で当時としては珍しい大型クルーザーの船長をしていた頃、浅利さんからよく電話がかかって来た。
「また、例の場所で・・」と日時を指定して来るのだ。
その場所とは豊橋の埠頭だった。
鳥羽から豊橋までは直行で1時間半だ。
普通東京から鳥羽へ来るには新幹線で名古屋まで、そこから電車で1時間40分かかる。
乗換えと、駅からホテルまでの移動の時間と労力を考えると大変だ。
この方法は東京から伊勢志摩までの最短交通手段だった。
新幹線豊橋駅から埠頭まではタクシーで5分、いつもキャッツのメンバーを10人ほど連れて来た。
そのまま鳥羽まで走り、船内で着替えて釣りや無人島の海水浴を楽しむのだ。
そして夕方にホテルに帰港、水着のままチェックインしていた。
名古屋公演の途中、息抜きで来た事もある。
野人は船長兼、釣りとスキンダイビングのガイドだ。
毎回キャッツのメンバーと一緒に海に潜り、女性は手を引いて海の底まで連れて行った。
夕食は釣った魚をホテルで調理してもらい、毎回夕食に誘われた。
浅利さんは食事しながら海や魚の話を聞くのが好きだった。仕事の話は聞いたことがない。
当時、野人はキャッツを知らなかった。
猫と言う意味くらいは知っているがミュージカルを見た事がなかったのだ。
トイレに行くと、入り口で男女の従業員が集まっていた。
聞くと有名な女優を見に来たと言う。
さっぱりわからないので聞いたら・・
「隣に座って話しているのに、本当に知らないのですか?」と、のたまう。
そんなこと言われても知らないものは知らない。
どれもごく普通の女性に見える。
浅利さんは穏やかで楽しい話をする。
練習や連日の公演は厳しいのだろうが、遊び方は粋で、劇団のメンバーを大切にしているのがわかる。
来る度に野人にチケットやら帽子にTシャツなどどっさりくれたが、とうとう見には行けなかった。
それにあの派手な猫のシャツも恥ずかしくて着れない。帽子も同じだ。 あげた従業員達は大喜びだった。
キャッツ公演は世代が変わっても随分長く続いたようだが、浅利さんの力量だと思っている。ハードな毎日でも、ギスギスしないゆとりとセンスを持った人物だった。
野人の転勤と共に縁が途絶えたが、またいつか会いたいと思っている人の一人だ。