温故知新 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

温故知新、古きを温め新しきを知る、この言葉は昔から好きだった。

人はこの考えで文明を築き上げて来た。

先人の知恵を引き継ぎ、失敗からも学び、そして未来に繋いで行く。それでも人は過ちを繰り返す。

戦争も絶える事がなく環境も破壊され続けている。

数十年前はそれほど考えもせず淡々としていた。

人間らしく生きて行けたらそれで十分幸せだと日々一日を感謝していた。

人の思考はそれぞれの思惑で成長を続ける。

子供の頃の性格、個性の違いから思考回路の違いへと変化してゆく。そしてそれだけ摩擦も多くなってくる。

生き方にせよ、価値観にせよ、その人が一番良かれと信じた道はなかなか曲げられない。

世の中には全く同じ思考の人などいない。

最初から価値観が違うのは当たり前の事だ。だから部分的には同じでも、全く同じ考えの人に出会う事はないだろうと思う。寂しい反面、出会いが楽しくなる。

そうでない人は似たもの同士集まる事になる。

政党などもそうなのだが、分裂したりくっついたりしているのがたまらなく可笑しい。

テレビ討論でも、元の仲間が譲ることなく互いの主張を繰り返し終わることがない。

子供の喧嘩のほうがまだ可愛げがある。

どちらも間違ってはいない、つまりどちらも正しいのだ。

本来は考え方に正しいも間違いもない、行動の結果が自分達に降りかかるだけ。

過去に自由主義と共産主義が世界を二分し、危機的状況に陥った。

ソ連は崩壊したが、だからと言って間違っていたわけでもなく結果が出なかっただけ、実践の上でどこかがおかしかったのだろう。

生き残った自由主義も国民の大半は支持しているが不平不満だらけだ。

政治形態も国によってまったく異なっている。

それらのことからも、人の思考、価値観が全く異なる事がわかる。

同じ地球で生きてゆくには、譲り合いと意思統一が必要になる。

歴史上、多くの国の興亡があった。時の権力を持った一人の人間の思考が国家の未来を左右し、多くの国が滅んでいった。

人はそこから学んだからこそ今の民主主義があるのだろう。

確かに自分の思考の「源流」になっているもが幾つかある。

それらから学んだから今の自分がある。

その中で一番大きなものはやはり自然界で森羅万象から生き物としての道を。

次に歴史だ。

特に日本の戦国時代からは滅びの歴史、因果を学び、合戦の推移、因果はすべて頭に入っている。

中国を中心とする世界の国家の衰退も印象深い。

次には人類がこれまでに築き上げて来た科学、文化だろう。

これには先人の技術的な知恵が詰まり、たくさんありすぎて学び足りないくらいだ。

たぶん一生かかっても無理だろう。

最後は人間、人からは思想を学んだが、大きなものを与えてくれた人はこれまでにたった一人。

「戦後最大の怪物」と言われた人物で田舎企業を世界に広げた実業家、大学卒業と同時にこの人物に拾われ、秘書ではないがプライベートな時間を一緒に過ごす直轄の特務員、そして本人と招聘客のボディーガードも努め、遊びも食事も共にしたが随分叱られた。

クソジジイと言った回数よりも「バカ!」と言われた回数のほうがはるかに多い。

その考え方は全く他の実業家にはなく、当時はクソジジイでも後になって凄さが理解出来た。財界を引退してから90歳近くで亡くなるまで、ずっと猪肉を送り続けていた。

ボケが進んでも猪を食べると正気に戻っていたらしい、たいしたものだ。

思考が似たものに「孫子の兵法」があるが、これは途中で読むのをやめた。

考え方が同じだったからその必要がなかったし、同じ森羅万象から学べばそうなってしまう。

当たり前の事しか書いていないが、当たり前のことを身につけ、実践するのが一番難しい、つくづくそう思う。