旧ブログからの再アップネタ「ご心配をお掛けしました。」 | AURA NISMOは、えぇ~力!!

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たまに、車やグルメ関連のネタ有り。

2022年11月1日にNISSAN AURA NISMO納車!!

これは、2005年12月22日(木)に、旧ブログにアップした記事です。
私事ですが、明後日、35歳になります。
その前に、2年と7ヶ月ほど前に膵臓癌で亡くなった我が親父の事を、ちょっと思い出していました。
そして、亡くなった直後に思った事を、オイラは実行しているのか?だなんて、ふと、思ったんですよね。
そこで、旧ブログを退会して、まだ、その内容がサーバーから消去されていないうちに、こちらに、その内容を転記することとしました。
長くなりますが、気が向きましたらお読み下さい。



12月12日、月曜日早朝に父が永眠致しました。
享年66歳でした。

本年3月に膵臓癌の手術を受けて、9月に肝臓への転移が見つかり、余命宣告を受けました。
はじめは「6ヶ月」と言われていたので、「何とか桜を見る事が出来ればなぁ~」って思っていたのですが、7月頃には血液検査で徴候があった模様で、本人への告知と言う事もあり、主治医は「6ヶ月」と言ったのですが、その時、既に余命は「3ヶ月」であったと、後日聞かされました。

膵臓癌の手術は、膵臓の3分の1、胆嚢、胆管、十二指腸、胃の一部を切除し、腸で胆管の代替を出来る様に繋ぎ合わせます。
本来、無菌状態である胆管が腸による代替の為に菌が存在する様になっています。
そのため、胆管炎を引き起こし、高熱を発し、入退院を繰り返しました。

9月頃から、既に食事は全く出来ないと言って良い状況で、ずっと高カロリーの点滴による栄養補給だけになっておりました。
この点滴は、健康な人が1日3食を超満腹状態にしたとしても追いつかない程の高いカロリーのものでした。
それでも、父はもるみる痩せて行き、最期には骨と皮だけになってしまったと言っても過言ではありませんでした。

11月下旬から、睡眠薬と麻薬で痛みを抑え、意識を落とし、ずっと夢うつつの状態にせざるを得なかったです。
この時、既に「お正月を迎える事が出来ればラッキーだと思って下さい」と医師から説明を私は受けていました。
声も思った様に発する事ができず、父が何を伝えたいのかが認識出来ない状況が続きました。
父からしてみれば、何を伝えるにしても、声が出ない辛さ、気持ちが伝わらない苛立ち、そして、もどがしさと不安と焦り…、ものすごいストレスであったかと思います。

12月に入り、更に痩せ細った父の腹部には、父が接種すべき点滴の養分を全て吸い尽くして行った腫瘍が拳2つ分程の大きさになっているのが確認出来た。
12月1日には、全く、その腹部は平らだったのに10日程でそれだけの大きさになったのだ…。
信じられなかった…。

ある時、一度、回診の時に「言いたい事が伝わらない事が物凄く不安だ」「先生、ちゃんと食べれる様になるかなぁ~」「何時になったら完治するの?」って言った事がありました。
胸が締め付けられました。
既に、余命宣告を自ら受けて、治らない事をわかっているはずなのに…。

12月8日の木曜日、北海道に住む姉が一人で帰ってきました。
どうしても長く滞在する事が出来ず、11日の日曜日には北海道へと戻らざるを得なかった。
その時、今シーズン初めての大雪で千歳の除雪作業の為に大幅にフライトが遅れました。
今、思えば、姉に「北海道に戻るな!」との神様の警告であったのかも…。

そして、12月11日の日曜日、何故か私は落ち着かず、晩に自室に戻らず、母と一緒に父の横に居る事にしました。
夜、父は何度が嘔吐を繰り返し、大きな欠伸をして数回…。
脳や身体に酸素が行き届いてなかったのでしょう…。
半日で700cc程出ていた尿も、21時に処理した後、夜中になっても全く溜まっていなかった。
腫瘍が何所かを圧迫し、消化液が下へと流れない様になっていた為に嘔吐する状況になっていたのだ…。
急遽、点滴に消化液を抑える薬を投与して、様子を見る事に…。
即効性ではないので、薬を投与した後も数回、嘔吐を繰り返した。
息苦しそうに、呼吸が荒くなってきたので、土曜日より使用している酸素吸入器の酸素濃度を2.0から2.5へ上げた。

ちょっと、落ち着いてきた様に見えたので、少しの仮眠を取る様にした。

12日の月曜日の早朝6時40分過ぎ、母親の声で目が覚めた。
脈拍が確認出来ない…。
手首で無理なら、首の頸動脈で…。
わずかに確認出来た。
ちょっとした安心感と、早く医者をと思う焦り…。
だんだん、脈拍の確認が出来なくなる…。
家庭用の血圧測定器で3回エラーがでた。
機械でも脈拍が確認出来ない…。

7時頃、看護婦が到着。
もう、既に心停止していると告げられた。
酸素吸入器の為か、まだ呼吸をわずかにしている。
私と母は「お父さん!」と何度も叫んだが、もう既に我々の声は届いていない…。
遅れて医師が到着。

平成17年12月12日月曜日、午前7時40分。
死亡を確認。

とても優しく、妻を思い、家族を思い、真面目で、強くて、暖かくて…。
そんな父と、母の36回目の結婚記念日が12月12日です。
父の最後の優しさが、この結婚記念日を迎えるまでの頑張りだったのでしょう…。
父は辛い闘病生活のなかで、結婚記念日だけは必ず向かえたいとの強い信念の下に頑張ったのでしょう。

私は、この父の強さと優しさを見習い、一生を掛けて父の背中を追い続けて行きたいと、そう思います。




もう一度、親父に誓う為に…。