こんにちは。お仕事の合間に書いている藍です。

 

リストカットのことはお話しました。

藍の両手首には今でも消えない100以上の縫い跡があります。

 

でもね、その当時の藍にはリスカしか生きてる意味、存在価値を確かめる方法がなかったの。

血はあったかく流れて、ああ、生きてるんだなってその瞬間だけ思えた。

だからリスカはやめられなかった。

リスカをやめるということは、藍が生きてると確認する手段がなくなることだ。

それは死んでるも同じ。

 

そのころの藍は、知らない間にあとからもうわかったことだけど、

完全に睡眠薬の薬物依存になっていてね、薬を集めるのが趣味になってた。

先生の処方どおりには飲まない。

自分で今日はこれとこれとこれの気分。

とかいって、自分で調剤して飲む。

ためこんでたなぁ、600T以上1000Tくらいはたまってたんじゃないか。

 

今では製造中止になったベゲタミンAもBも持ってたし、

貴重なお薬たくさん持ってました。

 

眠剤なくては寝れない体になっていて、

でも毎日の生活が苦しくて、ちょっと長く寝たいと思って多めに眠剤飲んで、

丸1日寝たり、それが最初。

 

それからもっと多めに飲んで、丸まる2日眠り続けて3日目に起きたり。

もうそれが当たり前になってたから、家族もまたOD(オーバードーズ)したって、

飲みすぎたって放置してたんだよね。

これも問題だと思うんだけど。

 

普通なら薬はもう親が管理するとかするなり、なんなりするだろうに、

そうはしなくて。

あたしが抵抗したからか?

そんな喧嘩はしなかったと思うけど。

 

ある夜、藍はすっごく疲れて、

 

もういいや、もう眠りたい。

 

そう思って、薬を数えてノートに錠数メモりながらODし続けた。

相性の悪いグレープフルーツジュースで(笑)。

そんなん、藍にはもう関係なしですね。

 

今はなかなか出ないハルシオンからベゲAからラボナから何から何まで・・・。

確かベゲAは100Tいったと思う。

ラボナは50は飲んだ。

全部で眠剤合わせて300T以上は飲んだね。

グレープフルーツジュースで(笑)。

 

知らない間に眠ってた。

 

起きたら近所の総合病院のICUで挿管されてた。

挿管ってゆーのは、口の中に機械みたいな呼吸を安定させるためのものね、それ。

入れられてた。

あと、手足縛られてた。

目を開けたら両親がいた。

先生と看護師さんもいて、先生は手のひら出して、

「どこかわかりますか。これ何本かわかりますか」

っていってきた。

手首のロープがとれたので、1とか2とか。

 

それでも「意識障害が残る可能性が60%あります」って先生は言ってた。

ICUに入ってたのは三週間くらい?だと思う。

あんまり覚えてない。

 

とにかく藍はもう少し長く眠りたくて眠剤を飲んだだけなのに、

なぜか病院では自殺未遂として救急搬送されたようだった。

 

いつもと眠り方が違う、

いびきのかきかたがおかしい、

おとーさんがそう判断して、藍の日記も見つけて。

 

 

その時胃洗浄を初めて受けたんだけど

途中意識が戻ってしまってえらい目にあった。

めっちゃ苦しかった・・・。

胃洗浄は無意識のうちにしてほしいものだ。

そんで、吐いた炭、髪の毛についたままだったし・・・。

 

ICUから帰っていいって言われたけど、貧血数値が3だった(恐)藍は即効意識なくして再度入院しなおし。

普通の病棟?でも一人部屋だったけど。

そこで一カ月くらい入院してた。

おかーさんが髪の毛とかしてくれた。

カッチカチに固まってたから。

 

本当は輸血をしたらすぐに貧血の数値は改善するって先生は言ったんだけど、

それならおとーさんがおとーさんの血で、って言ったら、

近親者の輸血は望ましくないんです。

と断られて、藍は何教でもないけど、なんか輸血っておとーさんもそうだけど、危険そうな臭いがするから自然と治るまで入院という形をとる羽目に。

 

だから退院まですっごい時間かかった。

 

だから自殺じゃないんだって。

ちょっと眠りたかっただけなんだよ。

でも300T超えでバルビツール酸系がその半数を占めてるとなると危ないね。

皆さんは真似しないようにー。

 

 

今では藍は先生の言う通りしか薬は飲みませんー。