こんばんは。藍です。

 

リスカしまくっていた大学時代のことをお話したかと思います。

躁うつ病で、パニック障害や不安神経症、強迫観念を持っている藍。

 

藍は自分の病気のことも詳しく知りたかったし、自分の飲んでる薬のことくらいちゃんとわかってなきゃいかんと思ってたので、躁うつ病ってどんな病気なのか、どんな症状が出るのか、今飲んでる薬はどこに働きかけてどんな作用があるのか、ネットで調べまくってました。

 

自分の病気のことは誰よりも自分が知ってる、今の状態は誰よりも自分がわかってる、そう思ってたし、当時の主治医もそれは認めてました。

それだけ藍は病気に対しての知識を身に着けてました。

でも薬のことを調べれば調べるほど、

 

今の薬は効かない、この薬の方が効きそう。

この薬は凄い強い薬だから、めっちゃ効果ありそう、飲みたい。

 

そんな風に思うようになって、知らない間に薬に対しての執着心が凄く出てきました。

 

そんなこんなしてるうちに登場したのが、かの有名なリタリン。

今ではナルコレプシーと子供のADHDにしか処方されない貴重なお薬です。

でも藍が大学生だった当時は重度のうつ病患者にも処方はOKだったんです。

 

リタリンをネットで初めて知った時、

 

やる気が出て、テンションがめっちゃ高くなる。

眠気もなくなりハイになって気分が良くなる。

 

そんなくらいの知識でした。

でも藍はネットでもっと深くリタリンの裏事情を知っていて、

スニッフ(コカインのように錠剤のリタリンを粉状に砕いて鼻から吸引すること)すると、

ヤバイくらいテンションがあがる、うつなんてふっとぶ。

不眠不休で働ける、動くことができる。

 

そんなことも知ってました。

いかにもヤバそうな薬です。

でも、うつ状態で何にも手がつけられなくて、レポートも書けない、

大学にも行けない、自殺する方法ばっかり考えてる、

そんな状態の当時の藍には喉から手が出るほど欲しかった薬だったのです。

 

そこで主治医にリタリンが欲しいといって、最初は無理矢理処方してもらうことにした。

最初は「あなたには合わないと思う」と言われたけど、

藍は「もう電車の中で一駅くらい過ぎると記憶がなくなる」「立っててもそのまま寝てしまう」と嘘はっぴゃく言って無理矢理処方してもらうことになったんですよね。

 

まぁ・・・当時はそこまでリタリンに対して規制が厳しくなかったので処方されたんですが。

で、次回の診察でリタリンが効いたって話をして、リタリンが処方されることになったんです。

 

リタリンを手に入れてから生活は一変しました。

最初、リタリン飲むのはなんとなく怖くて、溜めてました。

大学はなんとか無事卒業をして、きっちゃんとは残念ながら遠距離になって、

それで知らない間に連絡も取らなくなってしまったんだけど、

藍も新しい会社に入って覚えることが山ほどあって、

アイフルのコールセンターに最初配属されたんですね。

 

しかしそこが女子高生のクラスか!

ってくらい、なんか女子高生ちっくな集団がたんまりと。

藍はそういうのはっきりいって苦手です。

 

コールセンターに派遣として大学時代にすでに働いていた子がいて、

その子が仕事ができるもんだから、みんながちやほやして、

まるでお嬢様な感じだったわね。

藍はそういうご機嫌取りも嫌だったから一人でいたら、

教育係の先生に「強調性がない」とか言われました。。。

藍はもともと強調性はすっごくあるんだよ!

でもあの集団の中には入りたくないんだよ!

って言いたくなりました・・・。

 

アイフルの研修では眠気が強くて強くて、リタリンを使わざるを得なくて初めて使って、

それでも堂々と一番前の席で寝てました。

リタリン、効果ないじゃん!

と思ったんですけど、アイフルを3か月でやめて、

中途採用でIT企業に入社してから、リタリンのスニッフを覚えて、

そっからやる気が俄然違うのがわかりましたね。

 

頭の中にキーンって突き抜けるような感じ。

そっから、シャキーンって背筋が伸びるような感覚。

まさに脳が覚醒したよ、今!って感じになりました。

 

でもまだ藍は朝1Tスニッフして、3時の休憩にスニッフして、残業頑張るぞで

夕方5時にスニッフするという1日3Tは守れてました。

でもここからがリタリンの怖いところ。

 

休日は勿体ないからためておく。

当然体はだるくて起き上がれない。

だから土日は死んだように眠って過ごすのが当たり前。

月曜からはリタリンの力でなんとか仕事をこなす日々。

でも1日3Tじゃ足りなくなってきて、徐々にスニッフする時間も短くなってきて。

 

当時は完全にリタリンに頼り切って生活というより仕事をしてました。

リタリンがなきゃ何事も回っていかない。

そんな感じというより、まさにそうだったから。

 

神経賦活作用のある薬、リタリン。

今ではもう処方はされないけれど。

 

スニッフしたら効果絶大だった。

でも気付いた時には後戻りはできなくて、前倒しで先生のとこ行って薬もらって、

リタリン大量に溜めてました。

足りなくなったら困るから。

生活できないから。

生きてけないから。

 

そんなこんなで、なんとか仕事は休まずこなして、

同僚も先輩も皆優しかったし楽しかったし。

でも部署移動になって、その先で出会ったのが別れた旦那。

旦那にもリタリンのことは言ってあった。

 

藍には必要な薬で、でも家族が取り上げるかもしれないから隠す場所に困ってる。

っていったら、彼は彼の車の中に置いとく?って言ってくれて。

それが、その後の夫婦喧嘩の引き金になるとも知らずに。

 

あの頃 藍は、リタリンと睡眠薬の乱用だけで生活していた。

旦那と付き合うようになっても満たされることもなくリタリンは絶対で。

でも旦那が藍に

「藍には病気の女の子としてじゃなく、普通の女の子としての幸せをあげたいんや」

そういってくれたから、だから藍は旦那に決めた。

そんな風に言ってくれるのはこの人しかいない。

 

だから藍は旦那と1年も経たないうちに結婚した。

付き合ったのは12月17日。

結婚式は翌年の11月5日。

籍を入れたのは11月3日。

ちゃんと覚えてる。

離婚した日は忘れたのにね。

幸せな記憶だけはちゃんと残ってるものよ。

 

旦那がうちのおとーさんに挨拶したときおとーさんはこう言った。

「君が考えているほど藍ちゃんの病気は簡単じゃないし、思っている以上に苦労することはわかってるか?」

確かに藍の病気は一筋縄じゃいかないし、苦労するのは目に見えてた。

でも愛情の力が勝ったんだねあの時は。

 

でも旦那と結婚して、たぶん今思えば共依存の関係になってたんだと思う。

藍は旦那がいなきゃダメ、旦那は藍がいなきゃダメ。

お互いお互いで縛られてた。

 

だから今、離婚してるけど凄く距離感がいい。

仲がいい。

藍がこの世で絶大な信頼を寄せてるのは旦那だ。

何かあったら駆けつけてくれる。

それが旦那です。

 

別れた原因は色々あったんだけど。

 

でもそれにリタリンは関与してない。

リタリンの詳しい話はまた次回。

リタリンでどん底見て、完全にジャンキーになった藍はどうなったのでしょうか。