(これは実験室というグループで、校長役だったのでそこに長文記事を出すために書いていたものです。現在は実験室は終了しています。加筆修正はあまりしていません。)
 

「校長の小話」09


さてちょっと思う所あり「怒り」について書いてみようかなと思います。

正直「怒り」に関しては非常に身体に残りやすいものではないかと思っています。
まぁ怒りを感じると脳内で劇薬が出来上がるというのを読んだことがあるので、まさにそんな感じなんでしょう。

ふと自分を含め周りを見ると大抵の怒りは「それがまともに扱われない」ことに起因する気がしています。
個人の怒りで言えば「自分がまともに扱われない」ということに怒り、悲しみ、突き詰めていけば怨みつらみになります。

ここでスピで良く出てくるのが「手放しなさい」という言葉です。

どうでしょうか?良く聞きませんか?

個人的見解で言えば「手放しなさい」で手放せるものならまだ軽いものだろうと思います。

私がそれを人に言う場合は「手放すといいね」とは言いますが、その前に言うことがあります。

「怒りでも何でも「感じるな」と言っているわけではないんだよ。その自分にされたことを感じて自分がどう感じているのかちゃんと味わっていますか?」となります。

ご自分の感情を出すと迷惑がかかるであるとか、今ここで出せば面倒だとか、結構人は我慢するものです。
それが歯を食いしばり過ぎて、最悪歯を割ってしまったり。
怒りで身体が歪み、あらゆる不調が出てきたり、不眠になってみたり、そこから派生してノイローゼみたいなものを引き起こしたりもします。

それだけ自分の身体は繊細に受け止めて、蓄積していきます。

その結果、自分を騙して感情に蓋をし続けると後で自分を取り戻すのに時間がかかるのです。

まず自分が「どんな怒りを感じているのか」きちんと感じて仕分けて下さい。そしてそれは持っている方がいいのか、きちんと対象に出していくべきなのか、それとも長年の習慣で反応しているだけなのか、良く見て下さい。

最初は面倒ですが、これをするだけでこれから後が大分変わってきます。

いつまで待っても自分に都合の良い奇跡は起きません。
自分都合だからです。

少し冷静になれた時に自分の中の感情を見てあげる事もセルフケアだと思います。
「分かったフリ」はしないことです。

ざっとした説明でしたが、何かの参考になればいいなと思います。

実験室校長 時津かな