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フランクルが提唱したものとして
人生の意味のコペルニクス的転回という考え方がある。
人生の意味を人間が問うことはなく、
人生そのものが人間の存在の意味を問うてくるという。
で、現代の、
生きる意味がわからないと言って不安や精神症状を訴える若者たちに、
人生に生きる意味を求めるなと説く。
生きる意味を求めることはない、
人生があなたに生きる意味を常に問いかけているからと。
この抽象的概念は、より具体的には「夜と霧」に書かれている。
(「夜と霧」、原題は「心理学者、強制収容所に行く」。)
フランクルは、与えられた環境(強制収容所)の中で、
人がどんなふるまいをするのか、
どんな考え方をするのか、
選択することは「精神の自由」であるとした。
被収容者として、囚人然とした人間になるのか、
それとも
自分の体を維持するのにぎりぎりのパンを他人に分け与えるなどのように、
人間の尊厳を守りとおすのか。
尊厳のある人生だったかどうかは、状況が決定しているのではない、
自分自身が決めているのだ。
これを自分の状況に置き換えて考えてみる。
長時間働けど、どんなに功績をあげようと、
隣の席の、非常勤で私よりもこの職場での職歴や
1週間の勤務時間が短いおばちゃんの方が給与が良いというこの状況。
日々犬のように扱ってくるBJ(●●上司)。
結構私の中ではクライシスな状況である。
生きる意味など欠片もない。
しかしこのような状況下にあっても
人間としての尊厳を失わず、
職務への意欲を高らかにかかげ、
給料が悪くても身を粉にして働くことが
私の人生を輝かせる

私の人生の意味は、私が決めたこの仕事
私が努力することで、誰かが幸せになっている。
私は人のために生きている。
人のために生きることこそ人生を生きる意味

んなわけあるかーーい
ともかく、このフランクルの心理学は
生きる意味がなく腐っている若者に用いられるらしい。
ボランティアで人のためになることをすると、
ふて腐れた若者もやる気を見出すという。
だったら看護師か介護職になってくださいよ。
人のためになるといえばこれ以上この上ないダイレクトさで感謝される仕事です。
それでもいつでも人手不足です。
3年続けばいいほうです。
人のためになるからとか、人間の尊厳を守るとか、
そんなキレイごとだけじゃ人間って生きていけない。
少なくとも私は。
フランクルはとても厳格な人だったという。
(じゃなきゃ仕事で強制収容所なんて行かない)
人間の現実とはあまり即していないと思う。
ということで、
セラピーというのは、全ての事実と合致していなくても、
理論さえ筋が通っていれば成立するものなのではないかと思う。
誰か一人でも支持者がいて、癒される人がいればOKということだろう。
いわば「だましだまされ」な状況。
需要と供給があれば成り立つ心理セラピー。。。
こんな風に考えるから私には救いがないんだよ

そして生きる意味は今日も見つからない・・・。