役割ってなんだろう

 

 

クローバー

 

 

人が、

人間になって

人と人の間で関わるときの

必要な手段。

 

学校のクラスに所属すると

学級委員や図書委員、

いろいろ役割を決めるおかげで

 

生徒が集まり学ぶ教室の、

中で生まれる

いろいろなことが

円滑に回っていきます。

 

もっと小さな

コミュニテイでは?

 

家庭

 

親・子・祖父母・同居人 etc

 

やはり

家庭の中で生まれる

いろいろなことを

意識的にか自然発生的にか

そこの空間で

分担されていき

 

家庭に付随したコミュニテイの場所でも

役割は生まれて

円滑な社会のために

活かされているのでしょう。

 

 

役割とは、

人間の”知恵”

なんだなあ。

 

 

とてもすばらしい

思いやりと工夫から

うまれた愛

 

 

けど、

人が頭で考えたモノ。

 

 

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   『ヒト』2年前長崎バイオパーク

 

 

 

 

霧 霧 霧 霧 霧

 

 

自然界の中のものは

 

なにも

どれも

考えて役割っていない。

 

 

イチョウ

 

たとえば落ち葉は

土が肥えるのに役立っているけど

 

水が清まるのに役立っているけど

 

 

 

落ち葉は

木から落ちたあと、

 

ボク

土の役に立つんだー笑い

 

ワタシ

水をきれいにするんだー気づき

 

なんて考えていないだろう。

 

 

ただ、

木から芽生えた

葉の細胞が育って

その大きさの葉っぱとなって

季節の流れを過ぎちゃって

成長の末に枯れる変化を成しちゃって

木から離れちゃって。

 

 

 

自ら然るとは

おのずからそうであること。

本来そうであること。ひとりでに。

そんなもんだよなあと思います。

 

だから、葉っぱは

役割っていない。

 

クローバー

 

なんか、違和感があった

ずっと、

”役割”でおこなうことに。

”役割”でしてることに。

この世に

見えるいろんな”役割”に。

 

そこには義理・義務。のにおいがして

(全てがそうではない、前提で)

 

 

”お母さん”の役割が

わたしの頭から先に

入ってきたから

むつかしくなっていたんだ。

むつかしくさせていたんだ。

 

なるほど!

 

 

ちょっとどころか、

 

めっちゃくちゃ

感激している。

いま

 

目飛び出すハート

 

 

試験最終日の今朝、

こたつに入り

黙々と勉強している長女の

 

お向かいで

 わたしも黙々と

パソコンに向かえました。

 

 

おかげで

頭の中が

スッキリの朝です。

 

 

 

ぐぅぐぅ ぐぅぐぅ ぐぅぐぅ ぐぅぐぅ ぐぅぐぅ

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ヒト並の寝息