仕事で少し悲しい話がありました。
私は医療系事業に携わっているのですが
ある方が亡くなったというお知らせが届きました。
思い入れのあった方です。
私は現場に行く立場でないので、お会いしたことはありませんし、お顔も知りません。
でも、色々な話を人づてに聞いたり、記録を見る中で
「人って認知があっても、
こんなにほのぼのと暮らす事ができるんだな」
「幸せそうだなー」
と思っていたのです。
だから今、悲しいし寂しい。
その方の人生の小説が、パタンと閉じられて、完成したんだと思いました。
不思議だな
こんなに心に残っているのに、
会ったことはない。
そして、ご本人もご家族も、
私がその方に思い入れがあった事は知らない。
でも、そういう事って意外とたくさんあるのかもしれない。
電車で一瞬見かけただけの人
ブログは知ってるけど会ったことはない人
あの本に記事がのっていた人
色々。
だから、自分も、
自分があずかり知らないところで
誰かの心に残っていたり、
影響を与えたりしているんでしょうね。
全く目にも見えないし、
知ることもないのに繫がりがあるなんて不思議。
そういえば、週末に行った鎌倉でお坊さんのお話を聞いたのですが、その中に
自分は全て自分以外のもので作られている
だから、死にたい、消えたいと思うことは
森羅万象への冒涜なのだ
といった趣旨の話がありました。(表現はうろ覚え…)
つい忘れてしまいがちだけど
一人でいたって
繫がりは存在しているものなんだな。
生かされているんだろうな。
できる事なら、最後に本が閉じられる時に
いい事も、嫌だったこともマルッと
「この世は楽しかったー満足だー」
と思える過ごし方をしたいな。
いつかは必ず来るのだから。
一昨日行った、鎌倉の明月院。
この写真…
実は、菊の匂いを突然嗅ぎたくなって、
顔を近づけたんです。
そしたらお地蔵さんがすごく優しい感じがして。
安心というか、不思議な感じがして、
思わずアップで写真を撮っていた。
他のところでは、そんな事なかったのに。
これを撮るために行ったのかな・・・?



