いきなりはできない。

コンピュータでアプリケーションを作ろうとして、

いきなりオブジェクト指向言語が操作できるわけではありませんし、理解できるわけでもありません。

 

お料理でもいきなりお寿司は握れません。

魚をさばく技術、魚を切る技術、酢飯の作り方…

お寿司がネタとシャリとが分離しないように『握る』のには技術がいります。

 

車でドリフトしようとして、車の特性や荷重移動もしらないまま、

コーナーに突っ込んでいったら、多分死にます。

 

しかし…なんとなく…

コンピュータでも、基礎はなくてもなんとなくできちゃうことがあります。

ネットに転がっているサンプルプログラムをコピペすれば…なんとなく…

 

お寿司をつくるのにも、基礎はなくてもなんとなくできちゃいます。

ただ、お寿司が倒れてしまったり…ネタとシャリが離れ離れになっちゃったり、カタチが不細工だったり。

 

ドリフトでも、ある程度スピードがのっていて、サイド引けば、タイヤはすべります。

広い道で周りに何もなれば・・・それっぽくはできるかもしれません…

 

お芝居もなんとなくできちゃいます。

喋れたり、動けたりしたら…なんとなくはできてしまいます。

 

なんとなくでは…

だからと言って…『なんとなく』ではお金はいただけません。

 

コンピュータでアプリケーションを創って、それなりにお金を得ようと思ったら、知識もトレンドも基礎的思考も必要です。

いわゆる、バグやカスタマイズの方法、拡張の方法も手に入れなければいけません。

 

お寿司を握るのにも、酢飯、温度、魚の知識がなければ、お金をとってお店は出せません。

また、お客様の好みや季節のネタなどなど…工夫することはたくさんあるでしょう。

 

ドリフトも生半可にやれば、死にます。

 

何かをしようと思ったら…

アプリケーションを作る為には、基礎的な知識や技術、「つくるための思考」が必要です。

お寿司を握る為には、基礎的な知識や技術、「にぎるための思考」が必要です。

ドリフトをするためには、基礎的な知識や技術、「コントロールするための思考」が必要です。

 

つまり、何かをするためには、基礎的な知識や技術、そしてその分野に対しての”思考”が必要になってきます。

これはどんな仕事でもそうだとぼくは考えています。

 

お芝居ももちろん同じで、喋れるから動けるから…なんとなくできているっぽいでは、お金はいただけません。

 

もちろん、上手だ、とお客様に思ってもらって好きになってもらってお金をいただけるのが一番良いのですが…全て完璧に行く、なんてことは、まずありません。

 

なんとなくできるっぽいでは…たとえ、最初はご覧いただけたとしても…再びご覧いただくことはありません。

まずい食べ物屋さんやバグばかりあるアプリケーション、あぶない運転には…

再び関わりたくない、と思うのが人情です。

 

だからこそ、何度も何度もしつこいくらい、お芝居に対する思考、基礎的な部分というのは繰り返すというのは必要だと思っています。

 

基礎的な知識や技術、そして、お芝居をするための『思考』。

これらがないと・・・死ぬ。

ぼくはそう考えています。