▼新年、あけましておめでとうございます。

 

▼昨年は新和座にもぼくにもたくさんのご声援・ご支援、本当にありがとうございます!大変お世話になりました!今年もぼくも、新和座も精進して参ります!どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!!

 

▼さて今日は2日。ぼくはこの2日を毎年の◯◯始めの日と考えています。ですので、新和座の稽古はまだ先ですが、個人的な稽古はじめとして、自分の稽古を行いました。

 

▼と同時に、本日初詣に行って参りました。

氏神様、毎年、お守りを受けている神社、総鎮守に初詣してきました。

氏神様も水天宮も皇大神宮も、やっぱり空気が澄んでいるように感じましたし、畏れ多いように感じます。

なんというのでしょう、空気がピリッとしているというか、何故か背筋が伸びる思いがします。

 

▼去年末に感じたことのですが…

ぼくは子供の頃から…大晦日、年が変わる瞬間が好きでした。年が変われば、無条件で明るい未来が開けると思っていたからです。

それまで持っていた悩みや、今までの抱えていた問題が消えてなくなるような感覚がありました。なんの根拠もなしに。

 

けれども…大晦日、掃除をしたり、色々総括をしていたり、色々なブログ、皆さんのFBの書き込み、皆さんのTwitterなどを見ていて感じたことがあります。

それは『新年は…元旦は、去年、大晦日の続き』なんだということです。

 

▼新年は確かに明るい力を持っていると思います。けれども、それは無条件で訪れるわけではないと思うのです。

時間は、時間の経過は無条件で訪れますが…新年は…元日は、大晦日の続きであるわけです。途切れることはないのです。新年になったからと言って、切り替わりますが、時間が途切れる事はないのです。

 

▼大晦日までの蓄積が元日からの力にもなると感じました。 ぼくはどこか自分に言い訳して、新年に希望だけを見ていました。新年になれば無条件に希望あふれる新たな世界が開けると…

 

▼もちろん希望を持つことは大事です。ですけれども、今日までの蓄積がなくなるわけでもありませんし、今日までの蓄積が明日につながるんだ、と改めて思いました。だからこそ、ぼくは…今日までの蓄積を明日につなげ、 築いてきたモノを守るということだけではなく、それを新たなモノを構築する礎にしたいと感じました。

 

▼これが平成28年から平成29年に移る時に感じたことです。

 

▼そして、初詣をした今日。神様に誓いをたてました。それを具現化するために、ぼくは今までの蓄積を元に新たなことを切り開いて参ります!

 

皆様、今年もどうぞよろしくお願いします!!