▼1年は12月31日まである。12月28日と言えば、3日前だ。

 

▼年の瀬が迫っている日。御用納めの日であったり、仕事納めの日であったりする。それでも大晦日にむけて、世間は慌ただしく動く。

 

▼そんな日の22時22分ごろ、ぼくは生まれた。43年前の事だ。ふすま職人の父と元看護婦の母の間に生まれた。父が29歳の時、母が27歳の時の事だ。

 

▼今現在、ぼくがこの年末に感じている、気持ち。12月の頭くらいから感じている気持ち。「やっぱり12月は忙しいな」だとか「ここにきて仕事量が多いな」だとか「ああ、家の掃除もしちゃくちゃ」だとか「来年の公演は…」だとか…

 

▼年末は何故か色々な事を考える。いや、きっと普段も色々なことを考えているけれども、何故か「年越し」というのは特別な感じがする。

あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ・・・という焦燥感にも似た感覚。「年末だから」という考えで大掃除や洗車、正月の準備がある。

ふすま屋だった父は自分の家の掃除ももちろんあるが、他所様の家の障子やふすまを綺麗にするのが仕事だから…やはり師走は一気に仕事量が増える。

 

▼そうした忙しさの中に…ぼくが母のお腹の中にいた。父や母は43年前の12月。どんな気持ちでいたのだろうか。ただでさえ忙しいであろうこの12月の気持ちとぼくが生まれてくる気持ち。

 

▼数年前、「家族」が”病”だ、というような本が出版されたり、毒親というような言葉が語られた。もちろん世の中には親や家族とうまくいっていない人がいるのは承知している。

 

▼しかし、ぼくは父が好きだし、母も好きだ。弟も好きだ。もちろん意見があわず、喧嘩することもある。けれども、ぼくはぼくの家族が好きだ。

 

▼ぼくの父と母が出会わなければ、ぼく自身の存在はこの世になかっただろうし、二人の間の子供として生まれ、両親・弟がいなければ、また、今のぼくの性格や考え方は構築されなかったと思う。

 

▼ぼくという存在が居て、今のぼくの考え方があるから、たくさんの人に出会う事が出来、そして、新和座の仲間と共に仕事ができるというこの喜び。

これは奇跡に近いと感じている。父や母が出会わない事、つまり、祖父母4人が出会わなければ、父も母も存在していなかったわけだから。。。

そう考えると…物凄い奇跡の連続で、ぼくは今、家族と仲間と共に生きているのだと思う。

 

▼ぼくにとって、この12月28日はこの奇跡に感謝すると共に喜びを噛みしめる1日なんだと強く思った。