▼ぼくはよくお稽古場で言う事があります。
『役を殺すな』
文字で見ると物騒です。
▼実際の世界では…朝起きて、家族、駅に向かう人々、学校の友人・同級生、職場の上司、部下、同僚…恋人、親友などなど… 一目見れば生きているかどうかはわかります。歩き、しゃべり、動いているからです。その人達を見ても「あ、◯◯さんは生きている!」とはあまり感じません。なぜなら当たり前だからです。
▼親しくなればなるほど、会った人々が『調子が悪そう』とか『今日はすごいご機嫌だな』といった様な感覚はなんとなくわかります。彼ら彼女たちから発せられた言葉や行動からです。
▼しかし、舞台の上では…役を生かす、ということは容易ではありません。
▼舞台上でしゃべっているとしても、お客様は「当たり前」だとしか思わなかいからです。これは普段の生活と同じで、目の前の人間が動き、しゃべるというのは当たり前だからです。
▼舞台で役を演じる上では必ず”物語”があります。その物語の中で生きている登場人物を如何に生かすか、は演出者と役者が取り組む一番大きな課題です。
▼その役が(物語とは全く関係のない、ゾンビなどでない限り)生気がなければ、観て頂いているお客様はつまらないでしょう。
死んでいる人間を見るほど辛く切ないものはありません。
▼また物語をまったく無視して、役として認識できればまだしも…役そのものがそこにいないと感じてしまう時、本当に切なくなります。
▼お芝居はもちろん、台詞の暗唱ではありませんし、お客様は大抵の場合、物語の筋も知らなければ、台本を持って鑑賞していません。
▼言わば何も情報がないまま、舞台上の動くもの、舞台上から聞こえるものを見て聞いていただいているわけです。舞台であれば、その舞台上の空気感・温度・湿度・匂いといったものまで感じてもらえます。何れも欠け落ちることが出来ない要素だと考えています。
▼役と向かい合うとき時に、台本の台詞だけ注視してしまうと、お客様の視界に映るものが狭まってしまう懸念があります。また、台詞と台詞の間、ト書きとト書きの間、ト書きと台詞の間にどのように役が感じ、役がどのように動いているか明確にイメージする必要があります。
▼また、役者である自分が動きたいから動くというのは、作品にとってはプラスに働く場合とマイナスに働く場合があります。
しかし、この部分で一番肝要なのは、役(登場人物)として、矛盾がないかという事です。
▼例えば、時代劇だとして、時間を気にする時に腕時計を見る仕草をしたら…
面白い!
となる場合と
場違い!!
となる場合と考えられます。
ですので、常に役がどう生き、感じ、どう動くかということが舞台上では肝心となってくると思います。
▼役者としての自分が動きたい時に動くのではなく、役が動くべき時に動く。しゃべることも合わせて、役の衝動で動く。これが舞台の上でその役として生きるということの第一歩だと考えています。
▼舞台上で役をどう生かすか、どう生きるかという事は普段生活している以上に難しいと思います。何故ならば、お客様をただ動くものをご覧になっているわけではありません。お客様はその舞台に『役』が生きているからこそ、物語を感じていただけるのである、と強く思います。
▼ぼくら新和座もこのことをしっかりと頭に入れて取り組んで参ります。