▼ぼくの大好きな作家さん亀山早苗さんの最新のご著書です。『人はなぜ不倫をするのか』すごく刺激的なタイトルであります。やっと読み終わりました。



▼この本は、著者の亀山早苗さんが「人はなぜ不倫をするのか」という疑問に対して、様々な分野の学者の方々に行ったインタビューを元に構成されていて、各先生が専門分野の見地から「不倫」についての考えを述べられております。

▼帯にも書いてありますが先生方は誰一人「不倫」を否定しておられません。

▼この本は、「なんで浮気されたんだろう」「どうして他の男に行ってしまったんだろう」「何故フラれたんだろう」というぼくと似たような恋愛についての経験や感想を持っている人には是非読んでもらいたい一冊です。

▼と申しますのも、ぼくはこの年齢ですから当然と言えば当然ですが…複数の女性とお付き合いしてきました。しかし、その恋愛の最後は全て、フラれた格好です。そして、その中の少なくとも2名は、浮気をされました。

▼今「されました」と書きましたが、これはこの本を読むと正確な表現ではないように思います。この本を読み終えた後の正確(だと思われる)記述は「浮気がありました」ではないか、と感じています。

▼つまり、どこかぼくは過去の経験で被害者というか、「浮気をされた」側という認識でいたのですが、この本を読み終えた今、不倫や浮気というものに対して(良いか悪いかは別にして、また、自分の思いとは別に)少し考え方が変わりました。

▼それは誰にでも起こりえる事ではないか、ということです。

▼ぼくは以前、婚約をしておりました。母が亡くなった時にも当時のその彼女は色々と支えてくれました。結果から言えば、おそらく結婚していても上手く行かなかったでしょう。それはぼくにも原因がありましたし、彼女にも原因はあったと思います。今思えば、根本の考え方、人生観、国家観、芝居に対する考え方が違ってましたし。

▼話を元に戻して。当時の出来事として、その彼女は妻子ある男性と不倫をしておりました。ぼくと別れる間際の事でしたから、今冷静に考えれば、するべくしてした事であり、別れるべくして別れたのです。

▼しかし、当時のぼくは「浮気された」「どうして浮気なんかするんだ」「不倫してはずかしくないのか」「俺のどこが気に食わないんだ」というどこか被害者意識がぼくの気持ち全体を覆っておりました。

▼正直に言えば、この本を読み終える前までは少なからず思っていました。しかし、この本を読んで、「別にぼくのどこかが気に食わないから浮気をしたわけではない」ということがしっくり来ました。もちろん、彼女が浮気をした、という行動のきっかけは、ぼくに対する不満などはあったかもしれませんが、それが全てではないのではないかということです。

▼もちろん、浮気や不倫という事が、”された側”にしてみてれば気持ちの良いものではありませんし、世の中の多くの人が嫌悪する事象かもしれません。しかし、この本に登場する学者の先生方が誰一人「不倫・浮気」を否定していないという事実を目の前にした時、誰でも起こりえる事であり、突っ走ってしまった場合、誰が悪いわけではないのではないか、と感じました。

▼この本の中で一番興味深かったのは”宗教学”の見地から「不倫」に対して考察されている章です。これは今、ぼくたちが生活しているこの時代に「宗教」というものがどのような位置づけにあり、そして、その「宗教」が「不倫」をどのように捉えているのか、時代と共に変化しているのではという考えには非常に共感を覚えました。

▼また、ぼくは舞台演出家ですから、このタイトルの「不倫」という部分を「芝居」に置き換えた時に、各専門分野の先生方が仰っている事がスッと心に入ってきました。やはり、芝居もどこか恋愛と似ているとも感じました。