▼たまに聞かれることがあります。『なぜ、台詞を変えて読んではいけないのですか?』

▼普段、私はワークショップやお稽古、講座の中で「なるべく台詞を変えずに表現してください」と言っています。(上記の質問では「読んでも」も気にかかるのですが、それは別の機会に・・・)

▼基本的に私は台詞やト書きを変えることを好みません。これは、台本を書いてくれている脚本家の先生や物語に対する敬意という意味もあるのですが、お芝居では「役」をつくるものだと考えているところが大きいです。

▼以前、とある俳優さんが台詞を自分勝手に変えてお芝居していたのですが、これはいただけません。

▼何故ならば、言いづらかったり、自分の性格にない、言葉、行動でも、イメージして、創造するのが本筋であり、この俳優さんを何回も見ているお客様なら「なるほど!あの言い回しか!!」と納得するかもしれませんが、初めて見る方には違和感が出てくるかもしれないのです。

▼どうして違和感が出るかと言えば、脚本家は”登場人物”をイメージしながらお話を書くことが多いと思います。ですので、自分勝手に部分部分の台詞を変えてしまうと、全体としての整合性がとれなくなる訳です。

▼ただ、気持ちが入って台詞が”変わってしまった”場合はこの限りではないでしょう。それは、その役が自然に発した言葉なわけですから、真に迫っている訳です。

▼自分が言いづらいと感じたり、自分の性格と合わないだったり、単に目立つから!というような気持ちで台詞を変えると「目立つ」かもしれませんが、真に迫らないでしょう。同時にこういう理由で台詞を変えうことはプロの仕事とは言えないと思います。

▼もちろん、先ほども書きましたが、真剣に演じていて、役と向かい合って、台詞が変わってしまった場合はこれにあたりません。

▼これを踏まえて、前述の質問に考えを及ぼす時、言えない台詞やできない行動などないと考えています。ですので、全ては練習とお稽古にて、できるまでやるというのが表現者にとってのお仕事なのだと思います。

▼しかしながら、まま、台詞やト書きを変えることがあるかと思います。この場合、私が演出をしているのであれば、『意味のない動きや台詞』は入れないことにしています。その該当の箇所だけは意味があるように思えても、そこ以外になんの意味も成さなければ、変える意味がない、もっと言えば変える必要性さえ感じないのです。

▼表現に答えはないと思います。が、ハナから表現をせずに他の言い回しや、台詞などを考えるよりも、拠り所である台本を一切変えずに気持ちの変化、役の心理を研究し、役と真剣に向かい合うからこそ、気付きがあり、新たな発見や表現方法に行き着く事になるのだと思います。

▼単にモノの言い方だったり、台詞の言葉だったりを自分勝手に変えて(無論、こういう練習方法もありますが・・・)お稽古に望むのは好ましくないと考えています。

▼仮令、やりあきたり、不安になったりしても、台詞を踏襲し、その役を舞台で生かす事こそがプロの役者さんのお仕事であり、求められている事だと考えています。

▼経験上の話になってしまいますが、やり込めばやり込むほど、声も台詞も変わって行く物です。無論、そこには役に真剣に向かい合うことが必要です。


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