朝夕はどんどん涼しくなり、秋の匂いもしてきました。今回の記事は役者さんというよりも、表現する者としての感性の話をちらっとしてみたいと思います。

例え、今の季節が夏だろうが、冬だろうが、作品の中では独自の季節や時間が流れています。作品が冬の物語でも夏に公演したとしても一向に構わないわけです。お客様の中にはそんな物語に『涼』を感じる人もいるかもしれませんし、『暑苦しい』や『寒々しい』と感じることもあるでしょう。

しかしそうした感想に対する対策は作品を創る上では演出家や制作者の範疇であるように思うのです。そして、上記の感想が出ないように仕上げているのも演出家と役者、制作者の仕事だと私は考えています。

ちょっと話がそれてしまいましたが、、、
先程も言いましたように物語では独自に時節が流れていくわけです。
公演自体が上演時の季節を合致している、年・月・日がリアルタイムで進行していくということもあると思います。
しかし、大体の場合、その劇場に集う、お客様、スタッフ、役者、それぞれが感じる温度や湿度、季節感というのは同じなようでいて、少しずつ違う場合が多いように感じます。

例えば「寒い」という台詞があった時に、今が冬であれば外の外気をイメージすれば比較的簡単にできますし、夏でもクーラーの効いた部屋に入ってきたことをイメージすればこれもまた容易でしょう。
しかし、この「寒い」についても日本の寒さとアラスカの寒さだったら違うと思います。

場所、時間、季節、時代、環境…
こうした要素によって、台本上に書かれている一言も意味合いが変わってくるのです。

以上のことから役者さんをはじめ、表現する者にとって
『日本の四季を十二分に身体で感じる』
という事が大切ではないかと思うです。

先程も言いましたように外国の寒さの表現はそこに行ったことがなければできないのか・・・そうではないと思います。イメージを十分に練りこみ表現することでカバーできると思います。

しかし、その表現の元になる季節感というのは出来れば自分で体現してみることが必要不可欠だと思うのです。
春の風の心地よさ・・・
夏の暑さ、汗のかきかた・・・
秋の涼しさ、食べ物のうまさ・・・
冬の寒さ、食べ物のうまさ・・・

四季だけでなく、日本には古来より時節を表わす様々なモノがあります。例えば『お彼岸』だったり、『十五夜』だったり。
今ではインターネットである程度の情報をつかむことができます。
その情報を元にして、自分で色々な時節を体現することが、表現を行う上でとても大事なのではないか、そう考えています。