昭和20年8月15日。
日本が戦争に負けた日。無条件降伏が国民に伝えられた日。
正午。玉音放送が放送された。
今年は戦後70年。
戦争について色々な考え方がある。
今の世の中で・・・少なくとも日本で・・・誰も戦争をしたい、なんて思わないと思う。二度と戦争があってはならない。
日本は昭和20年から70年間、戦争をしてこなかった。
しかし、国際的な犯罪に巻き込まれた人が居る。
北朝鮮による拉致被害者の方々だ。
その被害者の方を助けることが出来ないでいる。
これは日本に対する侵犯以外何ものでもないと思う。
救出することが戦争なのだろうか。
救出することで武力を行使したら、それは戦争なのだろうか。
目には’戦争’と映ると思う。戦闘行為が行われるだろうから。
しかし、話し合って話し合って話し合って。
それでも、帰国できない拉致被害者が多数いるのであれば、国は救出しに行かなければ…国ではないのではないか、と考える。
自分の肉親や仲間がもし、拉致されたとしたら…奪還する為に色々な事をすると思う。
こうした犯罪への対処を含めて、戦争をしない方法というのは色々あると思う。
一番良いのは、人類、全世界の軍事力を解体し、二度と武器を手にせず、戦争をしなければいい。
しかし、それは無謀というか、無理に近いと思う。
日本列島は四方を海に囲まれている。だから、国境や民族という意識は正直薄い。
僕もどこが国境なのか、外国は海の向こう、というくらいの認識だ。
僕もどこが国境なのか、外国は海の向こう、というくらいの認識だ。
世界には色々な人、民族、文化、習慣、宗教がある。軍事力を無くすという事は、これらの文化・習慣・民族・宗教などを尊重し、互いに干渉しないことが大前提だと思う。
皮膚や眼の色が違っても、どんな宗教を信じていても、どんな習慣を持っていても・・・その人その人を尊重し、決して侵さない事が戦争をしない事の大前提だと思う。
それが人類にとって可能なのであろうか。
可能であってほしい。
けれども、今は不可能に近いと感じる。
残念な事に。
僕は戦争なんかしたくない。誰でもそうだと思う。けれども・・・世の中では・・・
気に入らない事もあれば、意に沿わない事もたくさんある。
その度に尖った気持ちになったりする。自分や家族、仲間を守るために、争う事もある。実際武器を使わなくても・・・経済戦争だったり、情報戦争だったり、受験戦争だったり・・・
’戦争’と名のつくモノはたくさんある。
人は悲しいことに、誰かと競ったり争ったり・・・意見を通す為に人を負かせたりすることもある。小さいながらも戦う事が頻繁にある。
実際、武器を使うかどうかはおいておいて・・・争わなければ誰も傷つくことはない。
でも、それでは、何かが生み出される事は少なくなってしまうかもしれない。
それでも、暴力を伴った戦いは・・・したくない。
僕は簡単に”世界平和”とは言うことは出来ないと思っている。現に今も、どこかの地域で戦争が起きようとしていたりする。”世界平和”であることにこしたことはない。
しかし、それは、どこかの国が支配することではなく、どこかの国の考え方が正しい、ということではなく、色々な国・民族・宗教・習慣の違いがあったとしても、それを認め、干渉せず、侵す事のない事が完全な世界平和をもたらす第一歩だと思う。
しかし、有史以来、干渉があり、侵されることがあったりもした。悲しいことに人が集まれば・・・いざこざが起きて・・・大きくなれば戦争になってしまう。”幸せ”に対して多様な価値があるように・・・その宗教や民俗・価値観、習慣を一本化することなんて無理なんじゃないだろうか・・・
以前にも書いたが、山崎豊子先生の「約束の海」という作品のあとがきで『「戦わないための軍隊」、その在り方』というような事が書いてあった。
これを読んだ時に僕の心は震えた。
というよりも少し迷いが晴れた。
全世界・全人類が・・・軍事力を放棄することができないのであれば・・・「戦わない為の軍隊」というものは必要なのだと感じる。
日本にある、大切な文化・習慣・人々が侵される事のないように。
僕もこの小さい脳みそを使って、”戦わないための軍隊”という事についてこれからも考えていきたい。
そして、今日。8月15日。
話題となる靖國神社に行こうか行くまいが・・・先の戦争で生命を落とされた方々に哀悼を捧げることは大切だと思う。
日本は戦争に負けた。しかし、悪だったのだろうか…
人が死ぬ。だから、正しい道だとは思っていない。
全て日本が悪かったのだろうか。
全て日本が悪かったのだろうか。
大東亜戦争で生命を捧げた人々、全てが悪いとはどうしても思えない。
そりゃあ、狂った時代に悪い方に気持ちが傾いた人も居るだろう。でも、全部が全部、悪い人なんていないんじゃないだろうか。
人間なんだもの。今の常識に照らし合わせれば・・・間違った事もたくさんあったと思う。けれども、その時その時を一生懸命生きた人々が全て悪かった、なんて思えない。
きっと、未来を考えて、その時その時を一生懸命生きたんだと思う。
戦争はしちゃいけない。
という気持ちを強く持つと同時に戦争で犠牲になった人々に対して深く哀悼の意を捧げる。