この歳になると・・・
後輩やら教え子やら仲間やらができてくるのは自然の流れだったり。
そんな中、講座でもワークショップでも、座の稽古でも気をつけている事がある。
それは、「指令とか命令」にはそれに伴う責任があるってこと。
芝居を作っていて、役者陣が台本から創ってきた役を見せてもらって、
それが僕のイメージと程遠い所にあった場合・・・
『ダメ出し』ってカタチである種の指令とか命令を出しちゃう。
客演の人に対する’お願い’もこの部類に入ってきたりする。
んで、それがお客様に評判が悪ければ、それは僕のせいだし・・・
その「指令や命令」でその役者さんが考えていた役そのものが破滅したり、
(創作過程における、一旦壊して、また創るではなく・・・ベース自体が壊れたり・・・)
ましてや、方法にこだわってその作品の訴えたい事を忘れてしまったり・・・
なんてことは全て指令者(命令者)の責任であると思っている。
だから、気をつける事がたくさんあるし、たとえ、評判が悪くても役者のせいには絶対にしない。
その隙があるんだったら、どうやったらイメージが伝わるか研鑽する。
役者が上げてくれる情報を元に決断・決定して、指令・命令するっていうのがスムーズに行くように更にその道程を考えたい。
後輩やら教え子やら仲間やらができてくるのは自然の流れだったり。
そんな中、講座でもワークショップでも、座の稽古でも気をつけている事がある。
それは、「指令とか命令」にはそれに伴う責任があるってこと。
芝居を作っていて、役者陣が台本から創ってきた役を見せてもらって、
それが僕のイメージと程遠い所にあった場合・・・
『ダメ出し』ってカタチである種の指令とか命令を出しちゃう。
客演の人に対する’お願い’もこの部類に入ってきたりする。
んで、それがお客様に評判が悪ければ、それは僕のせいだし・・・
その「指令や命令」でその役者さんが考えていた役そのものが破滅したり、
(創作過程における、一旦壊して、また創るではなく・・・ベース自体が壊れたり・・・)
ましてや、方法にこだわってその作品の訴えたい事を忘れてしまったり・・・
なんてことは全て指令者(命令者)の責任であると思っている。
だから、気をつける事がたくさんあるし、たとえ、評判が悪くても役者のせいには絶対にしない。
その隙があるんだったら、どうやったらイメージが伝わるか研鑽する。
役者が上げてくれる情報を元に決断・決定して、指令・命令するっていうのがスムーズに行くように更にその道程を考えたい。