自分と違う意見があったとして・・・

その人と友だちになれない、なんてことはない。
もちろん、全てが相反しているのであれば「合わないな」と思うことはある。
ある一つの事象に対して、意見が相容れないからと言って、
それが間違っているとか、敵である、とかは思わない。

ひょっとしたら、僕の方が考え違いをしていたのかもしれないし、
僕と違う意見というのは、僕の見識を広げる。

議論を戦わせる、というのは、相手を打ち負かす事ではない。
これはモノづくりにおいても同じだと思う。
そりゃあ、一つのものを作るわけだから、
同じ方向性へ行くように「結論」を出すことはとても重要な事だが、
かといって、もう一方の意見が間違っている、
二度と使えないまたは使わない、というのは違う気がする。

自分と違う意見が『悪』であってはならない。
皆が皆、同じ意見、同じ感性を持っていたら気持ちが悪い。
自分と違う意見があったとしたら・・・一体何処が違うのか、
違う事でどういうことが起こるのか、それを考えていくのが
大切であると思う。

自分と違う意見が『悪』であったとするならば、自分の意見は『善』ということである。
しかし、神様でも無い限り、必ず『善』などということはない。

自分の意見が通らかなったからといって、『負け』でもない。

議論は人をアツくする。
だからといって、目的を見失っては議論を行う価値もない。
相手を従わせること、打ち負かす事が目的になったとしたら・・・
それはもう、僕の考えている議論ではない。