地下鉄サリン事件から19年。
オウム真理教が起こしたテロ事件。
当時、僕は20代前半。
テレビに映し出される地下鉄出口、地上の映像を見て、 不謹慎ながら、何か胸が高鳴った。
何か世の中が変わるのか?!と言った感情を持った事は確かだ。
しかし、翌日にはその思いがとんでもなく酷い事であることに気付された。
と同時に、どす黒い、暗黒の、真っ黒な、嫌な感じが僕を包んだ。
平成7年(1995年)は世紀末、20世紀の終わりに向かっている年だ。
1999年のノストラダムスの大予言がまことしやかに言われる場面も雑誌などではあった。
サリンという薬品を使い、たくさんの人を殺害し、また、後遺症に悩ませる身体にしたこの事件は、僕が知る限り日本国内で最大のテロである。
この事件については、真相が明らかにされている部分とそうでない部分があると感じる。
死刑判決が出ている死刑囚(被告人)もたくさん居るが、これらオウム真理教が関連していると思われる一連の事件について、真相を・・・事実も含めた背景を明らかにしてもらいたいと考える。
さらに僕が専門学校の講師をやったりしていて、驚くのは・・・
若い世代の人々が---もちろん産まれてなかったり、この時幼児であったりしたので当然と言えば当然だが---この事件やオウム真理教の事を知らないことだ。
このテロ事件はアメリカの9.11と同様、危機意識という考えも含めて、老若男女、心にとめておくべきものだと思う。
僕は生活の中で宗教というものを信じることはあってしかるべきだと感じる。
日本人の多くが初詣に行ったり、クリスマスを祝ったりする。
宗教観がごちゃ混ぜ、文化がごちゃ混ぜになって、うまく行っているのも日本と日本人の特色だと思う。
仏教を信じようが、キリスト教を信じようが、イスラームを信じようが、神道を信じようが…
それは個人の自由だと思うし、信じているものを否定することは誰にも出来ない。
でも、1つだけ。
お祈りすれば、モノを買えば、出家すれば、信仰すれば、
『すぐ』に救われたり、『たちまち』身の回りの事が解決する、なんてことは無いと思う。
宗教はある種、心の拠り所であり、生活の中にも入っているモノもたくさんある。
けれども、信じているからと言って、我々人間であるうちは万能ではない、と考える。