今日は、『間』ということについて考えてみました。

お芝居で一番大切な要素の一つに私は『間』があると思っています。
私のお稽古場に来たことがある人は「ムトウさぁ、間が大事だっていうわりには「間」ってお前の口から聞いたことないけど?」って思われるでしょう。

私は「間」のことを「きっかけ」と言うことが非常に多いです。動機と解釈しても良いと思いますし、衝動と解釈することもできるかもしれません。

私は「間」というのを時間的な「間」(あいだ)とは解釈していません。後に詳細な考えは記述する予定ですが、「間」というのはその役が次の台詞、仕草、所作に入るための準備の時間と心の動きだと捉えています。と同時にお芝居、作品全体の「間」、私の言うところのきっかけも存在していると思います。幕が上がれば、舞台上にいなくても全ての出演者はきっかけを作っておいてほしいものです。

乱暴な言い方をすれば、とある役の台詞から台詞のあいだは大きな「間」と捉えることもできるのではないでしょうか?つまり脚本に「(間)」などと指定されていなくても、物語の様々なところにきっかけ、間が存在していると思います。同じ作品を違う俳優さんや声優さんが演じても同じにならないのはこうした間(きっかけ)がそれぞれ違うからでないでしょうか。

そして、この『間』、きっかけのコントロールこそがお芝居の大部分を占めるものだとも考えております。これは、自分の"間"だけなく、相手の動作、仕草をきちんと理解し、コントロールすることであり、自分勝手な『間』を作る事ではけしてありません。お芝居に慣れてきてしまうと、この自分の『間』、きっかけを大事にするあまり、相手のお芝居を受ける『間』、”きっかけ”を忘れてしまいがちですが、自分の間も相手の間ーーー自分と他者とのきっかけ、台詞、動作、仕草、表情につながる瞬間ーーーをきちんと確認、理解し、自分と他者との協調、連携をしていかないと、お芝居とはほど遠い、段取りだけのなんとも味気のないものになってしまうと思います。

また、自分の台詞が無い時にこそ、きっかけを創る最大のポイントだと私は思いますし、台本上での、自分の台詞、仕草、動作が始まった瞬間にはもう、お芝居は終わっていると私は考えます。