乱暴な論調ですが、
「お芝居ははだかでやってもできるはず」
と考えています。

もちろん、法に触れてはいけませんし、
お客様に見てもらう場合は衣装も、小道具もあった方が、物語をすんなりご覧いただけます。
そういったことも含めて公演とする場合、色々な問題が含まれますから実際には服を着るわけです。

しかしながら、
服を着たり、小道具を持ったりしたら、役と成り得るのでしょうか。
もちろん、きっかけとしてのメイク、髪型、衣装、道具だと思うのですが・・・
それらを身につけただけでは---演じる本人の気分は上がるかもしれませんが---役には成れないと思うのです。

お芝居は空間も服も小道具もないままにやって、見ている人にそれが見えるようにする表現が基本なのではないかと思っています。

しかしながら、人間は完璧ではありませんし、超能力者もそうそう多くはいないでしょうし、天才もいないと思いますから、なにがしかの”付け加え”が必要になってくると思います。

衣装であったり、道具であったり、メイクであったりという付加するものはイメージを広げるための道具に過ぎないと思います。
反面、この道具に左右されてはいけないのではないかとも思います。

衣装がなくとも道具がなくとも、私たちはお芝居をし続けるかぎり、それらに頼る事なく、役の真情を吐露していかなくてはならないと考えています。