今回は「自分という存在の奇跡」という事について書きたいと思います。

講座やワークショップ、お稽古なんかでよく、
「私の考えは間違っているのかな、と思っていました」
とか
「私はこの役ができるのかな、と思っています」
なんてことを耳にします。

結論から言えば、誰のどの考えも間違っていませんし、
その役は必ずできるでしょう。

ただ、その場に居る人に共感を得るか、その場に居る人に説得力をもって表現できるか、
という問題はありますが…

共感を得る事だったり、説得力をもって表現する、と言うことはまた別の機会に書くとして…

今回は、自分という存在に目を向けてみたいと思います。

自分が生まれてきた事を考えると、お父さんとお母さんが居て・・・その先には二組のお祖父さんとお祖母さんが居て・・・
未来に目を向けると、自分の子供が居て・・・自分の孫が居て・・・
どこかでちょっとでも違う組合せがあったら、「今現在の自分」というのは存在しません。
また、どんなに昔でも、どんなに未来でも(世代的に)「自分」というものは存在しません。

これだけで「自分」というモノが奇跡の存在のような気がします。

つまり、何億通りの組み合わせがあったであろう事象がどんなルートをたどったとしても、
結果として自分が生まれてきて・・・
今この瞬間にここにいる自分は過去にも未来にも存在しないと思うのです。

だから、その"自分"が考えること、感じることに間違っているなんて事はないと思うのです。

こと、上記のような講座や稽古の中で言うのであれば、
「自分」が感じること、「自分」が任された役というのは「自分」にしか出来ないのです。
それはこの世の誰がやっても「自分」の考えや役にはなりません。

最初にも言ったように、共感を得たり、説得力をもって表現する事は大事ですし、
いろいろな工夫が必要です。
しかし、その工夫をする前に、
第一歩として、「自分」という存在は一人しか居ないのだ、ということを認識することはとても大切だと考えています。