お芝居を創る上において、
その物語上、台詞の多さで主役、脇役を決め込むのはナンセンスだと僕は考えています。

その物語の中では仮令、台詞が少なかろうと、その人物はその人生を生きているのです。
ですので、全員が主役であり、全員が脇役なのです。

他方、主演の俳優さんには役割があります。
それは「フラッグシップ」という言葉に要約されると思うのです。

演出家だったりあるいは脚本家だったり、またはプロデューサー、制作担当者だったり。
所謂キャスティングをする人の思想や思いがその主演の俳優さんに反映される事があります。
また、その作品のイメージを代表する役割を担うわけです。

ですので、その作品を担う’主演’という役割をもつ俳優さんは、
自分の事の他、作品に対しても、演出家と同等の責任が生じる事があると考えています。

お客様からしたら、その作品はその主演の俳優を通じて見ることになるわけです。
ですので主演の人の立ち振舞い、芝居、考え方、全てがその作品について影響してくるわけです。
一部ではその作品のイメージが俳優さんと同期されて見られてしまうこともあったりします。
逆を言えば、俳優さんのイメージが作品のイメージを決定づける場合もあるわけです。


物語において主役、脇役は存在しないと捉えていますが、
公演においては主演という俳優にはお芝居だけではない役割があると考えています。