昨日は母の日でした。
母の日の思い出と言えば・・・
小さい頃からカーネーションは送り続けていた気がします。
一輪だったり、花束だったり。
僕が母の事で後悔していること。
たくさんあるけれども、
孫を見せられなかったこと。嫁もだが。
いつになるのやら。
まぁ、それはおいておいて。
孫を見せられなかったことってのは僕は、本当に悔いている。
子供好きだったんです、母。
思えば母には心配ばかりをかけていた。
僕が思い上がっていた時に響いた言葉があった。
「親はいつまでたっても親なんだよ」
と。心配性の母ではあったが、この言葉はぐさりと来た。
病床で母は、
「お前たちはお母さんの芸術品だからね」
という言葉を言ってくれた。
そこでは泣かなかった、もちろん。でも、トイレで泣いた。
母には心配かけっぱなしだった。迷惑かけっぱなしだった。
もう、どうすることも出来ないけれども、
母が他界したことは僕にとって大きな意味を持ち、転機の一つであったと思う。
僕は毎年、この日になるとやっぱり言う。
「お母さん、産んでくれてありがとう。僕はここに産まれてよかったです」
と。
いや、的な事を。毎年、言葉は違うかもしれないが。
やっぱり、ここに僕という人間が居ることができるのは父と母がいたからだ。
だから、迷惑かけっぱなしだったけれども、ありがとう。
僕は母に今、聞いてみたい事がある。今の夢は何?と。
どう答えるかはわからない。
ただ、この歳にして思うのは、やっぱり、いつでも、希望や夢はいくつになっても持ち続けるものだと思う。その質は変わったとしても。
もう、聞けないけれども、もし聞けたとしたら、その夢を現実のものにしたいとも思う。
母の日の思い出と言えば・・・
小さい頃からカーネーションは送り続けていた気がします。
一輪だったり、花束だったり。
僕が母の事で後悔していること。
たくさんあるけれども、
孫を見せられなかったこと。嫁もだが。
いつになるのやら。
まぁ、それはおいておいて。
孫を見せられなかったことってのは僕は、本当に悔いている。
子供好きだったんです、母。
思えば母には心配ばかりをかけていた。
僕が思い上がっていた時に響いた言葉があった。
「親はいつまでたっても親なんだよ」
と。心配性の母ではあったが、この言葉はぐさりと来た。
病床で母は、
「お前たちはお母さんの芸術品だからね」
という言葉を言ってくれた。
そこでは泣かなかった、もちろん。でも、トイレで泣いた。
母には心配かけっぱなしだった。迷惑かけっぱなしだった。
もう、どうすることも出来ないけれども、
母が他界したことは僕にとって大きな意味を持ち、転機の一つであったと思う。
僕は毎年、この日になるとやっぱり言う。
「お母さん、産んでくれてありがとう。僕はここに産まれてよかったです」
と。
いや、的な事を。毎年、言葉は違うかもしれないが。
やっぱり、ここに僕という人間が居ることができるのは父と母がいたからだ。
だから、迷惑かけっぱなしだったけれども、ありがとう。
僕は母に今、聞いてみたい事がある。今の夢は何?と。
どう答えるかはわからない。
ただ、この歳にして思うのは、やっぱり、いつでも、希望や夢はいくつになっても持ち続けるものだと思う。その質は変わったとしても。
もう、聞けないけれども、もし聞けたとしたら、その夢を現実のものにしたいとも思う。