これさ。普通に放火ダメだけど、神社に放火したとしてら、
むちゃくちゃ祟られるんじゃないの?!
寺社仏閣なんかに放火したヤツの心はどうなっているんだろうって思う。
きっと、神も仏も恐れもない人間なんだろうな。
その割には元旦も、子供の日も、お彼岸も、クリスマスもハロウィンもやっちまうんだろうな。
オカルト的な事だったり、宗教を必ず信じなきゃいけない、とは思っていない。
仏教でも神道でもキリスト教でもユダヤ教でもイスラームでも、
もちろん、無神論者でも無宗教でもなんでも良いと思っている。
と当時に、どれが良い、正しいということではないということではなく。
今回のこの放火、
そういう心の拠り所としてあるものを攻撃する人間の神経ってどうなっているのだろう…
頭の中を見てみたい。
おそらく、無関心というか、身体だけでかくなって、信念も何もない生き物なのだろうか。
まるで、USJか何かで目立つためだけにバカな事をしていた大学生かの如く。
こんな人間が増えてきたら・・・日本という国自体が無くなってしまう気がする。
それは、日本神道を学ぶということとかではなく、
歴史というか、僕らが生まれてきたのは、長い長い歴史の中で生活したきた祖先が居たからであって、
そうした人々が築きあげて来たものに対して、何の敬意もないからこういうことができるわけだよな。
これって、自分自身を否定していることにもなると思う。
恐ろしいことこの上ない・・・。
もちろん、日本は色々な宗教があって、それぞれに宗教行事的なものもある。
無神論者/無宗教でも良いし、葬式仏教だっていいわけで、どれかを必ず信じなきゃいけないってことはもちろんない。
んだけれども、生活と密着している部分で必ずそういった神社、寺なんかが必ず関係してくる。
ただ、月日に流されて、イベントだけに参加しちゃうことだってできる。
だけれども、そういったイベントを楽しむ事ができるのは、
どれを信じているということではなくて、
そのイベントや祭りの由来だったり、
中身だったりを少しは知っている人でなくてはいけないと思う。
例えば、近い所で言えば端午の節句。
男子の成長を願って色々な行事や家庭で言えば、飾り物だったり、お料理が出てきたりするわけだ。
それが他人の子供だったり、自分に子供が居かったとしても、そういう日なんだ、ということを認識する事はとても大切だと思う。
だって、何故休みなんだろうって理由を知らなければ、単に休むだけで意味がないと思う。祝日、何故祝うのかが、不鮮明になってしまう。
祝日を満喫するのであれば、日の由来くらいは知っておかなかければ、
単に休みだから・・・という、
空っぽの脳みそ、「言われればそのとおり」というような人間に他ならないのではないか。
こういった行事は特に神社に行く事はないかもしれないが、その起源は神道に求められる。
また、クリスマスだってそうだ。世の中が全体、クリスマス色に染まる。
キリスト教者でもないのに、「いえーい!クリスマス!」と浮かれてもいい。
でも、浮かれるのであれば、少しは何の日かくらいは知っていないと…
やはり、「まわりがやっているから」というような何の芯もない、
ただ、そのそこに、我があるだけの人間であるような人間になってしまう気がする。
知っているからこそ、満喫できて、次のイベントも迎えられると思う。
祝日だから、イベントだからという気持ちももちろんあって良いと思う。しかし、それだけではなく、由来というか、何故そういう日なのか、何故そういうイベントなのかをおさえておかないと、単に快楽を求めるだけになってしまうような気がして怖い。
・・・ともかく、この放火をしたとしたら、
その人間は、井の頭公園の神社に祀られている神様にも…
もそうだと思うけれども、そこにお参りしていたいろんな人々の思い、
今に至るまで携わった人々の思いまで踏みにじったわけだから、
今までの歴史そのものに泥をかぶせたと言っていいと思う。
この犯人が例え少年だったとしても、腹を切って詫びるくらいの事はしてほしいと思う。
例え、それが不可能であったとしたら、再教育というか、「君は頭がおかしい、空っぽ」だという事を認識させた上で、罪を償って欲しいし、早く出頭してほしい。
のーろーわーれーるーぞー