今日、とあるコラムを読んでいて、『欲望』ということについてとっても考えた。

僕の欲望っていうのはなんだろう・・・とよくよく考えた。


芝居上ではなんども行っている通り『役の真情を吐露する』ってことを
命題としてあげているんだけれども、
これは、その役の本当の気持ちだったり、
感情、欲望を吐露するっていうことにほかならない。


果たして、実は、実生活でどれだけ僕自身の”真情の吐露”が出来ていただろうか。

僕にはよくあることなんだけれども、
自分をよく見せるために言葉を選んだり、
思ったことを言わなかったりすることはよくある。

しかしながら、自分の内面というか、欲望、本音を出すということが
大事だと、今日のコラムを読んでいて、改めて気付いた。
信念につながるのならばそれはすべきなんだと考えさせられた。

言葉の中にある重みはよく考えていきたいが、
仮令、言葉が乱暴になろうとも、僕の真情が現れるのであれば、
誤解を恐れずに使えば良いと思うし、
ましてや、今までの経験で、多少の言葉の乱れがあったとしても、
関係が壊れるような関係性をもった人たちとはやはり希薄な付き合いになってしまう。
これは性格かもしれないが、敬語をつかったりするのは苦にならない。
しかし、同じ敬語でも真情を行っている場合とそうでない場合がやはり過去にあったと思う。
外見に囚われすぎていたと今日、もの凄く感じた。

そして、僕がこの何年かで悩んでいた事に一つ答えが出た気がした。


自分の欲望に素直になるということと、ただ、本能的に素直になるだけでなく、
僕の中に秘めている信念というものからずれないように欲望や本音、本心を吐露することはとっても大事だと改めて考えなおした。

僕が改めて考えたこと。
何故、お芝居をやっているのか。
それは、『自分の野心を満足させるために演出家やってる』わけであり、
その野心っていうのは、僕の頭の中身をどうにかして、みんなに理解してもらいたいっていう欲望なんだって思った。
考え足りずに他にも色々あるかもしれないが・・・

そりゃあ、もちろん、観に来てくれるお客様に楽しんでもらいたい、何かこう、感じて欲しいって気持ちがないわけではない。
しかし、今日改めて思ったのは、
”お客様のために”っていう気持ちももちろん、必要だけれども、
そのバックボーンにあるのは自分の欲望に実直であるべきなんだ、
それをオープンにしなければ、何を言っても薄っぺらく聞こえてしまうのだろう。

だから、僕は
自分の野心を満足させるために演出家やってる。
声を大にして言う。