2月に突入し、あっと言う間に節分も終えました。いよいよ正真正銘の新年です。


 勤務先のデイサービスでは、節分の2/3には、所長とスタッフが鬼に扮して、利用者さんに豆の代わりの新聞紙を丸めた手作り大豆を配り、投げていただき健康を祈願しました。


鬼を追い出す、節分行事。


私の中の鬼は、居座っている?豆撒いていないので!拾ってまた利用者さんに渡すのみでした。



実母の、グループホーム探しが難航して、落ち着かない日々が続いていました。


ここで話題にしているグループホームとは、



グループホームから特養へ行くフェーズも考えて、次へ繋がるか否かも、チェックポイントの一つではありますが、


やはり見学して、スタッフと入居者さんの醸し出す空気を味わいに行かなければと思いました。


仕事の休日や有給休暇をいただいて、3か所見学しました。


その内、ここに決めたい!と思った、この1番良さげな施設は10人待ち。


2番目3番目は即入居可能と言われ、待つかすぐ入居するか悩んでいましたが、


母が、午後から予定のない日に重い荷物を抱えて、往復1時間の大手リサイクルショップへ、歩いてモノを持ち込んだ。


古過ぎると言われ、売れずにそのまま持ち帰ってきたと、でも気分がさっぱりしたと、楽しそうに電話で報告してきました。


休みを取って、3か所めのグループホームの見学に行っている最中の事でした。天気も良かったし、と言って。


確かに晴れて青空が広がっていたけど、冷たい北風が吹き荒れていた寒い日。


玄関に置いてあった、ブランド品の古いバッグが詰まったIKEAの大きな袋を思い出しました。無料で引き取りに来てくれるリサイクル店に、取りに来てもらうと言っていたのに。


ブランドだし万が一売れるならと思って、どうしても諦め切れなかったとか。


「これでやっと諦めついたわ!」


と笑っていましたが、脳動脈瘤破裂のリスクを抱えている高齢者がなんて事すると、恐ろしくて。


我々家族は2番目の施設に、即入居を決断しました。


ところが。1室空きがあると言われていた、2番手の施設へ本人面談に行くと、母の面談を担当した施設ケアマネに、うちでお預かりするには、十分自立できるレベルで早過ぎるように思うので、再審議にかけさせてと言われました。


お支払いや、荷物の相談までする気で行ったのに?!



その内、恐らく待機がいると聞いていたので、別の待機中の方に先を越されたのではと推測しています。


2月初旬に特養移動のため退去が決定している人がいるから、入居は可能だけど、日程が決まり次第連絡を待つこととなりました。


何も動きの取れない、モヤモヤとした期間を過ごしていました。




今回、見学の大切さを実感。


綺麗な画像のパンフレットからはわからない、孤独感が感じられたり、写真では広く見えたリビングが驚くほと狭かったり。


見学時に聞いてみると、食事は手伝う場面はほぼなくて待っているだけだったりと、


現場の情報はとても大切です。


どの程度家事をさせてもらえるか、見学時に聞いてみると、思い描いていた、献立を考えて買い物から入居者も参加できるような、いわゆる想像していた共同生活しているグループホームとはかなり違っている施設もあり、


その時の入居者の平均的な介護度にもよるかもしれません。手伝えるレベルの人がいない場合もあるし。施設側だけの問題ではないと思うのですが。


ネットやパンフレットだけではあまり伝わらない、最新の生の情報が、当然ながら見学すると沢山あります。


画像ではわからなかった、ノーマークの施設がとても雰囲気が良かった。


入居者さんがスタッフとキッチンに立って作業していたり、男女混合で和気あいあいとトランプをして夕食前の時間を過ごしている施設がありました。


庭に休養中の畑があり、隣には菜の花が沢山咲いた大きな公園。大きなテラスも日当たりがよくて、新しくて綺麗だけど入居者さんが静かだった施設よりも流れる空気がよくて、


でも、その環境の良さが人気で、待機がとても多いと聞いてがっかり。介護ベッドが、パンフレットの部屋の画像になかったけど、最近入れたという事で、ベッドあり。


施設によってはベッドがなく、入居者側で用意するところもあります!


2番手さんは、ベッドありで高ポイントでした。


1番手さん、待てなかったですが予約は入れました。万が一、移る可能性もあるかと。見に来てよかったと思いました。



調子が良ければ家事全般シャキシャキこなし、ケーキを焼いたりもする母てすが、短期記憶がかなり怪しくなりました。


そして、気分が落ちると何もできないし食欲も落ちる。


そして、体調が回復すると、悪かった時のことはすっかり忘れて、ずっと自分で何でもできているように錯覚する。


サポートに行き来する、我々の介護負担も日々大きくなり、今年はもう施設探しの1年だと新年会で話し合って、早速動き出したら早々に決まった。


正直、家族もなかなか心がついていかなかったのですが、入れるタイミングを逃して1年待った話など耳に入って、こちらは何とか腹括りました。


今、母がどこで何をしているのかと、ビクビクとしながら毎日暮らしていると、私たち介護者が具合悪くなり、母のサポートができなくなります。 

いつでも近くにいられるなら。でも、それは到底叶いません。




一緒に観ようと約束していた、一度チケット買ったのに、母が体調不良で行かれなかった、映画『君たちはどう生きるか』。


閉館が決まった、老舗吉祥寺プラザさんにて、リベンジ観劇叶いました。最終日は前売りはなく、甥がチケット係をして私が母を連れて行き、




念願の映画鑑賞を楽しんで、アフターランチも盛り上がって大喜び。



小さなベランダで、得意のガーデニングに精を出したり、





ケーキを焼くのも大好きな母です。ちょっと焦げたと悔しがっていましたが、なかなか美味しいのです。


吉祥寺の、製菓材料店「富澤商店」に先日連れて行ったら、大興奮!



アクティブな母には、グループホームが1番母らしく過ごせるはずと信じてはいるのですが、それでも時々揺らぎます。


独歩ができる間はサポートして、母の希望を叶えるべく、慣れた団地での独居生活を続けさせる事が親孝行なのかもしれない、と思ったり。



改めて思うのですが、現在特養暮らしの姑は引きこもって、徘徊は一切しなかった事や、もともと無駄遣いが大嫌いで、ギリギリまで人任せにせず、自分でしっかり家計管理していた事。さらには自分の介護貯蓄をしていた事。


真逆な母のお陰で、姑の美点が見えてきました。


かつては軽度認知症という診断を受け、要支援1だった母は、抑うつが治れば1日6-7000歩は歩いて、毎朝ラジオ体操にも参加する、アクティブおばあちゃんでしたが。


現在は、脳動脈瘤の影響で複視が強くなり、瞼も下がってしまって、目を開けにくいようです。段差などが見えなくなり転んだら危ないからと、家にいる日が増えました。


脳動脈瘤破裂のリスクも高い、現在の母は85歳で要介護2となりました。


外出や外食、買い物好き。遠出も大好きで、知らないところへ行くとワクワクするタイプ。エンタメも大好きです。生粋の韓ドラマニア笑


仕方なく家にいる母も、韓ドラや編み物で退屈しないとは言っていますが、辛かろうと思います。


こういう人は認知症リスク低いと思っていました。私も十分遺伝子受け継いでいます。気をつけます。




独居でも、つい数年前まではなんの心配もなく、遊びに行くと上げ膳据え膳。むしろ邪魔だから座っていなさいと言われるほどで、まだ私が眠っているうちに散歩と体操を終えるような人でした。



姑との諍いに悩んでいた頃、何かと理由をつけては子供を連れて、実家に泊めてもらっていました。


元気な頃から、発達障害由来と思われる、謎の拘りが多かった姑。それに逆らう者は、何人たりとも許さないという方針を貫いていた姑との同居は、当然ながらストレスフル。


実家の母の、自由な教育方針が当たり前かつありがたく思っていたのに、その事を恨めしく思ってしまったほど、姑との同居生活時代は追い込まれました。自由にしたいと思う事が辛かった。


30代の後半、目眩がひどく通院していて、薬を持ってなき父の法要のため、幼い子供たちを連れて実家へ1人で日帰りしました。


車をバックする時や玄関で下を向いた時など、ぐるぐる目眩が起きていたのに、実家では何でもなくて薬飲むのを忘れるほどで。


帰り支度をして実家の玄関に立つと、とたんに起きた激しい目眩。


帰りたくない自分の精神状態を自覚しました。


測っていなかったけど、恐らく血圧がこの頃から徐々に上がっていて、53歳でくも膜下出血を患う下地になっていたかもしれません。


ほぼ同い年の姑と母ですが、脳の脆弱性が高かったと思われる姑が先に介護認定をいただいて、デイサービスやヘルパーをお願いして、


段々と介護サービスの介入が増えて、2020年にサ高住入居そして2023年に特養へ。


現在は短期記憶も数分?秒に近いかも。お怒り電話もまだありますが、体調良ければ、素直で可愛いおばあちゃんとなりました。

  

梅が咲くと、通院帰りに姑と2人でお花見した事を思い出します。


くも膜下出血を克服し、私は姑の通院係として、介護要員として復員できましたが、2人で行くのは2023年の2月で最後となりました。その時の梅の画像が残っています。


あれから1年。3年遅れで、今度は母が、入居問題で揺れています。







母が弱ったきっかけとなったのは、2021年10月に末弟(母にとり、1番かわいくて世話の焼ける末息子)をなくした事による、喪失感や深い悲しみだろうと思います。抑うつ症状に悩まされ部屋に篭り、不眠や物忘れが一気に訪れました。


認知症的な治療がここから始まり、介護認定を受けて、ドクターの勧めでデイサービスの利用が始まりました。1人で閉じこもって、脳機能低下するのを防ぐためです。


姑と同じく、まだ早いとか忙しくてデイサービスに1日取られるのはつらいとか、色々な事を言いながらも、


スタッフさんの、あたたかい触れ合いに絆され、週2回入浴させていただいて、楽しみに通うようになりましたが。


歳が歳なので、超高齢の母の伯父さんや、お友達の訃報が次々に舞い込みます。その度に寝込んで食欲も落ち、筋力も脳機能も落ちていったと思います。


今では短期記憶も1時間?持つかも怪しい。体重も落ちて入れ歯が痩せて合わなくなり、食事に難儀すると、もう食べることが面倒になるようで。


2023年には未破裂脳動脈瘤が3つ見つかり、手術で破裂を防ぐことも拒否。


認知機能には影響しない脳動脈瘤だとドクターはおっしゃいましたが、


昨年から、顕著に辻褄の合わない発言や行動が多くなり、周囲は振り回されてばかり。


本人的には、妄想や夢に見た事を現実と混同したとしても、しっかりとした根拠があってのこと。どうしてこうも家族に嗜められるのかわからず。


通帳や財布を預かると言われたり、グループホーム探すと言われたりしても、納得行かない様子です。


こちらが説得に疲れ黙っていると、このままで良いのねとばかり動き回り、転倒したり。


説得する事は無理と、姑でわかっているのに。母なら理解してくれるはずと、親子ゆえに、私も母に対して過剰な期待を持っていた事を反省しています。



そうこう綴っていると、義妹から連絡が来ました。


入居日が、3/3に決まりました。



私は3/1に演劇の予約をしていました。この頃には、落ち着いていると思っていました。当初、2月最初の週末が引っ越し予定だったので。


泣く泣くキャンセルいたします。関係者の皆様、本当に申し訳ございません。老親持つ身、致し方ありません。3/1は、母の荷造り頑張ります。



2024年2月5日、予報通り午後から雪に。 



母から、


「帰った?滑って転んだりしてないか心配、連絡してね」


とLINEが来ていました。


返信がてら電話して、無事帰りましたと報告し、グループホームへの引っ越しの日取りを知らせたところ、


「ああよかった!キリがいいし、少しは暖かくなるんじゃない?少し楽しみになってきたわ。」


何だかぐっときました。申し訳ないような、でも嬉しいような。


母のラストステージの始まり、笑顔で突き進みます。


職場近くの、梅の香りに毎朝励まされています。春近し。



追記:2024年2月5日午後から夜にかけ、関東で大雪と雷。都内で最大積雪8㎝。千葉3㎝観測。







翌朝運良く?私は休日。雪かき頑張ります!