あーそういや俺「トイストーリー3」ってちゃんと感想書いてなかったんね。

ということで昨日TV放映もあったので、あらためて。

もはや劇場でも3回見た上に、Blu-ray買ってまた2回泣いて、WOWOWの放送見てまた泣いて、昨日また泣いた。

泣けるから良い映画って事ではないよ。
とにかく、ピクサーの恐ろしいところは、老若男女問わないところ。

誰もが、誰かに感情を委ねてしまうような作品を作ること。

今回で言えば、自分の大切なモノ、宝物と置き換えても良いかもしれない、との決離。
メインテーマはウッディたちオモチャとの別れだけれど、物語はそれ以外にも含みがあると思う。

それで昨日とてもグッと来たシーンが、ラスト近くでのアンディとお母さんのシーン。
ガランとしたアンディの部屋を見た時に、お母さんがハッとして胸に手をあてたあの場面。

あのシーンがとても違ったものに見えたんだよね。

そうなんだよ。

アンディと別れるのはオモチャたちだけじゃない。

あくまでも一貫してオモチャ目線で描いてきた作品だから人と人についてはスルーしがちだけど、あの短いシーンに詰め込まれた想いはとても深い。

あそこのシーンも最初のシーンとつながるんだよね。
オモチャで溢れかえってる部屋で遊ぶアンディを撮影する母親。

あのシーンはずっと最後のアンディとボニーのやり取りに繋げるものだと思って(実際その意味合いが主)たけど、母親からの目線でも同じなんだよね。

あんなにオモチャで溢れていた部屋が、ガランとした空間になってしまい、大学生になって独り立ちしていく息子。

そういう親からの目線で見ても、またこの別れは一言では片付けられないものになる。

もしかしたら丁度近々家を出ていく兄貴に知らず知らず重ねてしまったのか分からない。
でも、俺の横で見ていた母はその心境だったと思う。推測だけどね。

さて、そんなシーンもあったし、もちろん最後も号泣。

長年遊んでなかったオモチャなのに、1つひとつちゃんとボニーに説明してあげて手渡していくアンディ。
一瞬ウッディを渡すのを躊躇うあの瞬間。

もう感情が抑えられなくなる。

だけど、丁度先日ポルノの会報を読み返してて、晴一さんのこんな言葉があったの。
ずっとメインで使ってきた1960年のレスポールスタンダードについて、

「これは今は縁あって俺の手元にあるけど、ギタリストみんなの持ち物で。借りてるってイメージ。ずっと俺が持ってるんじゃなくて、俺が『もう良いかな』って思えた時に次の人に譲るもの。」

その言葉に自分の中でリンクした。

ずっと大切にされる幸せもあるけど、モノにとってそういう幸せもあるんだろう。


本当にピクサーは凄いよ。

絶対、義務教育に取り込むべき。