こんにちは!
今日の東京は温かいです。
先ほど外に出たら、思わず「ぬるいーっ」と言ってしまいました
今日はちょっと、息子とのコミュニケーションについての「たとえ話」をしてみます。
すっごく変な例えなので伝わりにくいかもしれませんが…
私の中ではなんとなくしっくりくるので、書いてみたいなと。
まず最初の前提からしておかしいのですが、
ここに"ゆで卵"があってですね、
その黄身のところに子どもがいるとするじゃないですか。
なんじゃそれ…?と思われるでしょうが、まあ我慢してお進みください
親はゆで卵の外側にいて、子どもに言葉を届けるには、ゆで卵の外側からスーッと針を刺す。
そうすると、黄身のところにいる子どもに届く、みたいな仕組みになっていてですね。
なぜか「クレーン」だけ、彼の殻には穴が開いていたんです。
その後ABAを始めて言葉の練習などしたのですが、
今振り返ると、ABAは「穴を一つずつ増やしていく練習」だったように思います。
「おはよう」と言えば「おはよう」と返す、という穴。
「これなあに?」と聞けば「○○」とモノの名前を答える、という穴。
「ちょうだい」と言えば何かを手渡す、という穴。
そうやって穴を確実に増やしていき、たくさんのやりとりができるようになっていった。
そんな感覚があります。
ABAで開けた穴というのはなかなかに強固でして、
例えばうちの息子は、「これ要る?」と聞くと「大丈夫」という返事をよくします。
これは幼稚園の頃にABAのセラピストさんから教わった返答の仕方で、恐らく「要らない」よりも柔らかめの表現として「大丈夫」という返事の仕方を習ったんじゃないかと思うのですが、
今も断るときは「大丈夫」を多用します。
「あとで」とか「ううん」とか首を横に振るとか、断り方っていろんなバリエーションがあると思うのですが、
ほとんどの場合に「大丈夫」と答える息子を見ると、いろんな意味でABAってすごいなあと思います。
しっかり固定される、というのかな。
ちなみに、ABAによって返答のバリエーションを増やすことももちろん可能だと思います。
ABAだから答え方の幅が狭いとか、そういう風にABAをディスっているわけではないので、誤解のないようご理解くださいね。
我が家はABAによって意思疎通が図れるようになり本当に楽になりましたし、恐らく「穴」の開け方もすごく上手で、多方面に開けていただいたように感じます。
こうして穴をどんどん開けていけば、それはもう、殻がないのとニアリーイコールなんだと思います。
ABAが優れた指導法だという感想は、今も変わりありません。
さて、では今の息子はどうか?というと、、、
まだどこか「殻」を感じますね、正直。
同じ話を繰り返しがちなところがあって、それは、すでに開いている穴を多用したいんだろうなと思います。
なんとなくの感覚なのですが。
ただ一方で、殻そのものが「軟化」しているような感覚もあります。
前は刺さらなかった針が、刺し方をちょっと気を付ければちゃんと入る、みたいな。
今では、まったく針が刺さらない場所はないようにすら思います。
それでももし、殻をツルン!とむける方法があるとするなら、これが本当はいいんですけどね。
その方法というのは、何なのでしょう。
身体アプローチ?
栄養療法?
皆さんも何か思うところがあったらぜひ教えてください。
本日はなんだかとりとめのないたとえ話で失礼いたしました。