裏千家の御代代わりで30歳の若宗匠「丹心斎」とのこと。お若い。光陰矢の如しですね・・。坐忘斎のお子さんで、確か、立命館大法学部卒の方なのかな。父母会会報によると、坐忘斎お家元は父母会会長もなさっていたのだそうです。その前の大宗匠の鵬雲斎の時代が私どもにとっては印象に残っていますが、私よりご年配の方々が若い時代、明治後半~大正~昭和前期の淡々斎(無限斎)位までが、今生きている方が現に接して来られた大宗匠ということになる。

 

その以前の圓能斎は、道具のお好みとしては、九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)を現した意匠の『亀蔵棗』、これは幾何学的で一風変わっていますが、茶の湯の『宇宙観』を最も良く表現したものと感じ、私も好きです。『汐汲棗』は能の演目に因んだもの。現在よりも、能を始めとした日本の伝統文化に親しみを感じて育った人も多かったのではないでしょうか。風情がある一品です。圓能斎好みの良い物があるのですが、流石に、今の時代にお茶会で披露されているのは見たことがない。

 

また、この圓能斎の時代、主に明治時代は、韓国では李氏朝鮮であり、崇儒廃仏政策をとり、儒教の振興と共に仏教の抑圧を開始していた。仏教弾圧の理由には、前王朝であった高麗時代には、国教が仏教であって、国家の保護を受けて仏教勢力が非常に繁栄していた為。何でも前代の物を破壊して新しい王朝を造るのは中国も同様ですが、日本も同時期に、廃仏が起きていたのです。

 

その影響は、やはり、茶道具にも表れていた事は間違いなく、神社所縁の能の演目に因んだものであったり、中国由来の天文思想によるものが好まれたと言えるのでしょう。これに関する文献を未だ読んだことがありませんので、私がそのうち執筆すると思います。野島さんは花をやってる、と仰る方がおられるんですが、若い頃、最初に習ったのは、やはり花(池坊)で、母もそうでした。床の間に飾っているのを見て育ちました。後にお茶ですが、お茶の方々から、生け花でなく、茶花をやってくれ、と言われるのですけど、池坊の観点から考えると、茶花というのは、これセンセイ方も言われたことないんですが、というのも、お茶とお花やってると言っても、両方の深いところまで達しておられる方はそういないからご存じない為と思うんですね。要は、種あかしを無料ですると、茶花は「副はずし」「体はずし」である、という事が分かるまでは、『生け花』を勉強しなければならない、と私は思うんです。そこが分かっていないお茶の先生の花は魅力がありません。幾ら、茶席では花よりも花入の方が主役と言えど。また、逆も然りで、若い花の指導者が、茶花といって生けられていたのを見た時、違うなーと感じました。

 

ちなみに、仏教が国教であった高麗時代というのは、実に長く、西暦918年~1392年。日本の歴史と比較すると、平安時代の王朝国家と呼ばれた時代。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(「この世は 自分(道長)のためにあるようなものだ 望月(満月)のように 何も足りないものはない」)が有名な道長の時代、正に仏教が盛んであった日本の時代とも重なります。

 

天皇を軽視している歌のようにも感じられるのですが、道長自身、長い間、権力闘争に明け暮れ、苦労を重ね、一家三后を実現させた事で敵がなくなり、満悦した道長の本心の吐露であったと捉えることができそうです。平安後期には、藤原氏ゆかりの仏教寺院、平等院鳳凰堂が息子、藤原頼通によって建立された背景には、末法思想が広く信じられていた事にありました。仏法が廃れるという思想です。天災・人災が続いたため、人々の不安は一層深まり、終末論的思想として捉えられるようになり、この不安から逃れるための厭世的(悲観的)思想として捉えられるようになり、現世での救済から来世での救済に変わっていったのですが、平等院が創建された永承7年(1052年)は、「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営したのです。続く南北朝時代の争乱時に焼け残ったのは、鳳凰堂(阿弥陀堂)のみになりました。平安時代後期には、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次ぎ、頼通の父であり、時の最高権力者であった藤原道長は無量寿院を建立し、また、11世紀後半から12世紀にかけては白河天皇勅願の六勝寺を建立した。しかし、これらの大伽藍は現存していない。

 

鎌倉時代にあっては、国家的事業として東大寺をはじめ南都(奈良)の諸寺の再建がなされる一方、12世紀中ごろから13世紀にかけて、新興の武士や農民たちの求めに応じて、日本仏教の新しい宗派である浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗の宗祖が活躍した。この6宗はいずれも、開祖は比叡山延暦寺など天台宗に学んだ経験をもち、前4者はいわゆる「旧仏教」のなかから生まれ、後2者は中国から新たに輸入された仏教である。この鎌倉仏教も、織田信長によって弾圧され、比叡山の焼き討ちもおこないましたが、信長は、全ての仏教を弾圧したのではなく、本能寺(日蓮宗)と大徳寺は庇護しました。

 

茶道で用いる『高麗台子』『高麗卓』という棚があり、関心を持っているのですが、詳細の説明を見たことがないんですね、講演会等での論説も聞いたことがない。これに、正月飾りとして『注連縄飾り』を着けられている事にも、個人的には違和感を感じている一人です。高麗とは、間違いなく、韓国に仏教が国教として盛んだった時代からの命名だと思いますので、仏教を現す黒塗りという事でしょうし、仏壇という印象のものに、注連縄という神社のものを?神仏習合という理念からの『しつらえ』だという事なのか?よく、苦情が出ないものだなぁ、、少なくとも、私はしない、と考えて見ております。。この高麗卓の『お好み』で歴史を見ると、宗旦のようなんですね。信長の時代です。信長と言えば、先述のように、日蓮宗という訳で、日蓮というのは、天皇よりも日蓮が偉大であると言い、天皇をも折伏の対象とした人物なんです。実は、これが、今日までも、陰なる大きな影響を及ぼしていると感じています。皇室が学習院から離れられる理由も、ここにあると確信します。学習院は既に赤化しているという話で、私とて、折伏の対象者であったのです。これは明らかな陰謀でした。ま、これは置いておくとして。

 

中国も同様に、仏教史上、大規模な仏教弾圧を行なった四人の天子がおり、北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗がいました。現在も中国共産党によって宗教弾圧がおこなわれています。

 

朝鮮王朝(李氏朝鮮)の第1代国王であった李成桂は、元(モンゴル)の武官で、後に高麗の武官。李氏朝鮮の創始者となった。しかし、この李成桂王朝がおこなった廃仏政策は、李成桂自身が晩年仏門に帰依したため一時中断され、本格的になるのは亡くなった後の第4代世宗の時代になる。この世宗という方が、ハングル文字を創製した第4代朝鮮王です。明治の文明開化も、多分に、この隣国との歩調を合わせていると思えるのが、同様に、日本にも明治時代、廃仏毀釈が政府によって起きたこと。神仏分離によって神道を押し進める風潮の中で、多年にわたり仏教に虐げられてきたと考えていた神職者や民衆が起こした一連の動きでもあり、各地で仏像・経巻・仏具の焼却や除去が行なわれた。しかしながら、一方で、この政策により、かえって仏教覚醒の好機ともなり、日本近代仏教は廃仏毀釈をテコとして形成され、今に至っているそうです。

 

こうした文化的背景からは、中国の方とも、韓国の方とも、台湾の方とも、幾らでも繋がれますよ。ロシアのプーチン大統領も柔道をなさったそうですし、韓国の文大統領の奥様も日本の茶道をたしなまれるという。しかしながら・・、これが、政治的に、親日であるかという事とは別問題なのですね。それは、日本側が、中国の文化を土台とした茶道や華道をおこなう事が、イコール中国の政治や党の思想に賛同しているという事ではない、というのと同じことだと考えなければなりません。歴史的には、親中派であった政治家の方が、その勢力から暗殺されているという事実も知っておかなければ、よく言われる国家間の『架け橋』として、子供を差し出す勇気は私にはありません。旧大韓帝国高宗第七皇子に嫁いだ日本の皇族梨本宮方子妃殿下の場合も、子供は毒殺されています。架け橋等、そんなつもりはなくとも、我が家には酷い破壊工作が仕掛けられたのですから、子どもたちが一番の犠牲者だと思った時期も長くありました。

 

今でも、恐らく続いていると思われるのは、電子機器への遠隔破壊と思われる現象で、ほぼ時期を同じくして、息子たちと私のスマホやタブレットが故障し、電源も入らなくなったこと。これが修理屋に言わせれば「稀」である為、何らかの権力者側からの嫌がらせであって、我が家からの金銭的搾取の為の謀略、暴力革命の一環として続行しているものだと考えています。。電源が入らない、という事は、即ち、位置情報が衛星に届きませんので、何らかの情報錯綜の為でもあるかもしれません。熊大のコロナ研究員の女性殺害では、荷物の中から、スマホだけが抜かれていたのですが、ああした事も、単に通りががりの老人がやったにしては、周到なのです。つまり、『位置情報を消すため』にスマホは捨てられた可能性がある。国家権力絡みかもしれません。犯人の清掃員は買収されて、やってもいない罪をやったと言っただけかもしれない。京都アニメの事件の時も、肝心なテロ行為の時には、監視カメラが停止されていること、つまり、日頃、監視している勢力側の謀略だと言えるんです。テロリストとして思いつくのは、個人的には、戦後右翼の日蓮主義なんですけどね。オウムも宗教テロでした。。。

 

「ともに国を守るに足らざるものなれば、いやしくも国を思うの丹心あらんものは、内外の政治に注意せざるべからず。」『学問の独立』より福沢諭吉。ゆかりの九條道成・明治神宮権宮司から「丹心斎」の斎号を贈られたそうです。

 

お言葉ですが、内外の政治には敏感であらねばなりません。誰しも注意しておくべきだと思っています。特に我が家は、理由は分かりませんが、尾行監視嫌がらせのターゲットになっていますので、政治には大いに口出しするつもりです。 宗真 拝

千宗史氏が十七代継承の決意を新たに 茶道裏千家の若宗匠格式奉告献茶式|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

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茶道裏千家の若宗匠格式奉告献茶式が9日、菩提(ぼだい)寺の大徳寺聚光院(京都市北区)で行われた。次代を担う千宗史若宗匠(30)が、千利休をはじめとする歴代に一碗をささげ、十七代継承の決意を新たにした。...