私の父親は 時代に乗って財産を一代で築き上げた人です
五十歳位から仕事はほとんどしませんで
ポイントは押さえていて
電話連絡などはマメにしてましたけど
麻雀に競馬 競艇 毎月のフィリピン旅行 土地転がし 株 キャバレー通いなど好き放題でしたね

元々C型肝炎からの肝臓癌になりまして
C型肝炎は完治して 安心してた所
 1999年の夏 何か変だと言って
J病院へ行ったら年内の命だと言われてしまいました
私は布団の中で体がガタガタ震えてしまった事を思い出します
当時は告知しませんでしたので
肝硬変になってしまったと父には嘘をつきました
J病院は何もやる事が無いので他の病院へ行ってくださいと
J病院が大好きな父
 クリスマスとお正月が来るという理由で退院しました
2000年2月3日父らしく節目の鬼の日に亡くなりましたが
父の好きなJ病院で亡くなりました
家で血を吐いて救急車で行ったのです
とてもスッキリしたようで病室でたくさん話ました
当時タバコを吸っていた私はタバコ吸って来るねと言って
それから病室に戻ると痙攣してました
それきり管付けたまま目を覚ましませんでした
家族があきらめるのを待っているんですね 母はもう生きられないんだから
管外してくださいと
我が家の長男オーストラリアにワーキングホリデー行ってたのを帰ってこらせまして成田空港に迎えに行きながら父の病院に向かいました 途中まだーと妹から電話入りましたがその時心臓マッサージしてたらしいのですが
口から血を吐き出していて
先生がまだやりますか?
まだやりますか?と
妹はもういいですと
カモフラージュなんですねこれも
家族があきらめるまでやる
私達が到着すると
知らないおじさんが廊下に座っていた
病室に入ると父はもう生き耐えていた
 当然わーと泣く
あきらめが付いた頃さっきの知らないおじさんが入って来て葬儀屋ですと
すごい世界ですね
病院が連絡してるんですね
死んでからでは間に合いませんよ
黙って廊下で入るタイミングを伺っている  裏金が動くんでしょうね
そこで弟が近所の葬儀屋さんに頼みますのでと断ってましたが
それから死んだ人専門のエレベーターで
いつも開かないドアが開いて 地元の
葬儀屋の車に乗りました

今でも廊下に座っていた葬儀屋さんの事は忘れられません
確かに必要な仕事ですが
複雑な気持ちです