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Mutant-Lab

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ZeroLab by Muta-P1000085.jpg
なーんも考えずに描いてたらこーなった(笑)。
キーワードは、パントマイム、大人の女、天使、イエス、ってところでしょうか(笑)。

オレ、クリスチャンじゃないです(笑)。ただ、ここんとこ宗教観話とかあって、いろんな宗教資料検索してたから、かなぁ。

豚に真珠ネタで、新約聖書の使徒行伝(イエス死後の教団の流れが主に書かれたモノ)周辺見たせい?
「20世紀少年」でも死と復活が出てきたでしょ(笑)。

マジメに宗教的な絵って描いた事ないから、実際オレが一番おどろいたかも…(笑)。
だからこそ、描いてみる価値はある…か?

まあ、らくがきです(^^)。
ノートはらくがきの割合いの方が多かったなぁ。

これもらくがき(^^)↓

ZeroLab by Muta-P1000089.jpg

豚珠、目のウロコ、
発案はガイジン
あるよー
(チュゴクじゃないねー)

「豚に真珠」の語源は、ご存知の方も多いでしょうが、実は新約聖書。マタイの福音書第7章6節「聖なるものを犬に与えてはいけない。また豚に真珠を投げてはならない」から。要は価値のわからない者に与えても無意味、って説法からですね。

ちなみに聖書語源で有名なのが「目から鱗(ウロコ)が落ちる」。
こっちは使徒行伝第9章から。ユダヤ教徒でキリスト教を迫害する側だったパウロ(サウロ)兄さんが、復活したイエス・キリストに出会って目が見えなくなる。その後キリスト教徒が啓示を受け彼のためにお祈りすると、あーらフシギ、彼の目から鱗のようなモノが落ちて目が見えるようになり、パウロ回心→信者→聖人になりましたとさ…てぇお話(笑)。

目に鱗があるかい! と思ってたあなたも、これでスッキリ!(笑)。実は復活したイエスの奇跡とは、不透明コンタクトを使ったトリックだったっつーお話です(コラコラ(笑))。
(だが、コンタクトなら確かにウロコに見える…この偶然、もしかしてイエス・キリスト=ドラえもん説に続く…わけねぇって(笑))

馬耳東風
耳に風って
違和感ない?(笑)

さらに面白いのが、豚に真珠の同義語「馬の耳に念仏」。
語源は「馬耳東風」、中国の詩人・李白の詩から…が定説ですが、違う解釈もあるんです。この2つと同義語とされる「馬の耳に風」が元だ、という説で、これが面白いのです(そう、実はこれが本ネタ(爆))。

馬耳東風は「春風(東風)が吹けば人は喜ぶのに、馬は耳に春風が射しても感じる気配がない」というところから、人の話を聞かない様、話しても無駄なことを意味します。

で、「馬の耳に風」の方は、なんと聖徳太子の残した格言から、ってお話。
こちらの意味は元々、「暖かい風で馬上の人が春に耽っていても、馬は主人のため周囲に気を配り耳を澄ませている=情報に敏感であれ」という格言なわけですね。

驚くなかれ、李白は馬を愚者、聖徳太子は賢者としていて、実は正反対の意味なのです。

ここで注目っ! 馬耳東風では、そもそもなんで春風が馬の「耳」に射すのか、必然性がないでしょ。別にオデコだって、目だって…春風から考えたらタテガミあたりが奇麗な叙景描写ですよね(^^)。春風が馬のタテガミを暖かくなでているのに、馬はそんな風流も理解しないだろうなぁ、とか。

ところが、「馬の耳に風」の解釈なら、耳は必然。春風に桜が眩しい木漏れ日の中、「風流よのぉ(いつの時代だ(笑))」とかノンビリモードだった馬上の厩戸皇子。ふと馬を見ると、センサーよろしくアッチコッチの音に敏感に反応する馬の耳が見える。「おお、余のために(だからいつの時代だ)この耳はよう働いてくれておる。愛い奴よのぉ」そんな情景が目に浮かびます。

一説には聖徳太子(馬の耳に風)→李白(馬耳東風)→馬の耳に念仏、という経路だといいます。ただ、これがどーも怪しい気がするんです、オレは(笑)。
(年代的には、聖徳太子没年西暦622年、李白没年762年。遣隋使or遣唐使の時代だから、辻褄はあいます)

馬の耳に念仏
元ネタは馬耳東風
にあらず!
(証拠ナシ!(笑))

聖徳太子→李白、はいいんです。馬耳東風→念仏、に疑問なわけです。

そもそも李白の詩自体「世人開此皆掉頭 有如東風射馬耳」で、「当世では貴族にへつらう者ばかりで、詩人の言葉を聞いても馬耳東風のようだ」って意味の詩なのです。つまり東風=詩に例えているわけで、詩の方が(出世のための)情報より素敵なコトなのになー? って(笑)歌なのです。
(この「なー」は、この詩の相手・王十二という詩人への問いかけね(爆))

同じ風情を歌いながら重きを置くモノが違う言葉なわけで、オレ的には誤解釈とか意味が転じた、というのと違う気がします。李白は聖徳太子の元の言葉の意味を踏まえて逆に歌った、という感じがするのです。

昔から耳と風ってモチーフがどーもピンと来なかったんですよね。なるほど「馬の耳」は別のものを聞いてるんだ、という話があって初めて、別のもの(情報)より東風の方が心を豊かにするから大事なのに、という歌に意味が出てくる気がするわけですね。

で、これがさらに日本に逆輸入されて、情報に耳をかさない様、に意味が転じたとなるんですが…ちと「念仏」が突飛な気がしません?(笑)。

東風=唐風と転じ、さらに中国からの文化=念仏に転じた、と聞いたことがあります。ですが、中国は日本の西だし、念仏なら西遊記でおなじみ仏教の源流・天竺(インドor南アジア)はさらに西。日出る国・日本から見たらとことん逆風じゃん?(笑)。

中国の詩を伝える文化人が、そーいう文化的常識無視して転じるか? どーもコジツケっぽくて、しっくりこなかったのです。(とはいえ、時間はたーっぷりあるから、有り得ない話じゃない)

それよりは「情報に耳を向け春風などに耽らない賢い馬の様」が、より構図が単純な「情報(念仏)に耳を向けない愚かな馬の様」にひっくり返った、と考える純日本産説の方が自然かなぁ、と思うわけです。

日本では、聖徳太子時代以降、(一部の時期を除き)厚遇されてきた仏教が、「情報」の最上位として位置し、風なんて曖昧な表現より直接的な言葉として置き換えられる。おかげで元の「馬の耳に風」も同義語にされてしまった…って、わかりやすくありません?

諸説を知って、なるほど、それで耳に風なのか! だから念仏が出てくるのか!といちいち腑に落ちて、(勝手に)感動したんですよね、オレ(笑)。

唯一の難点は、「馬の耳に風」の語源が聖徳太子な事(笑)。
現在は聖徳太子非実在説まであって、それは極論としても聖徳太子の逸話の多くが脚色された物だってのはかなり有力な話ですよね。

厩戸皇子(うまやどのおうじ=厩で生まれた、馬を愛した人という話から)、そして豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ=十人の話を同時に聞き分けた逸話から)という別名がある聖徳太子。だから逆にその名前からインスピレーションを受けて捏造された話、という想像もできちゃって、こっちも実に説得力ある、といえばそのとおりですが(笑)。

ただ、じゃあ「馬の耳に風」という素敵な言葉の本当の作者は誰? て根本的謎が残ってしまうのがちと…。まあ、いいか(笑)。

皆さんはどう思います?(^^)

なげーよ? ごもっとも(TOT)
豚に真珠っていうけど、豚が真珠つけていたら可愛いよね?ブログネタ:豚に真珠っていうけど、豚が真珠つけていたら可愛いよね? 参加中


豚に真珠ってかわいいよね?

へ~。

うーん、なるほど…。感慨深い(笑)。

普通は、豚ってーとマンガタッチのブタか、ペット用のミニブタしかイメージできないから「可愛い」って思えるんですよね、きっと。

オレは山を削って作った中学校出身で、そこは北に向かえば畑や林が続くロケーション。で、オレがいた剣道部のランニングがこの北コース。まっすぐ北上して、豚小屋で折り返してました(笑)。

だから毎日見てたわけで、生ブタって、まード迫力っす、一言で言えば。正直、近寄るのは少し恐かったし。

似合うとか似合わないとか以前。あれに真珠つけても「あ、豚の上に真珠が落ちてる!」にしか見えないです。

つまり、ジュウタンに真珠つけるとかわいい、に近い(笑)。ね、へ~(フシギな価値観だぁ)、って思うでしょ(爆)。

ちなみに、実家に帰る時に乗るバス、ある箇所でアップダウンがあるんです。窓を空けてると、生の牛のお尻と1メートルまで接近できます(笑)。臭いが…(T-T)。農家の人はえらいなぁ、とつくづく思います(^^)。

PS;ついでに、剣道部の北コース、狩猟期間には猟銃もった人がたまにうろつくわけで、誤射されかけたことあったっけ(T-T)。「あ、ハンターだ、え、こっち側向いてる?」と思った瞬間、パンッ、ン.....バチバチバチバチッ!
銃口はオレより上狙ってたと思うんだけど、散弾って、弾のほかに弾を押し出すプラスチックの内容物も打ち出すのね。で、たぶんそれが足元周辺に当たった音。縮み上がって、文句いう余裕もなにもなかった(笑)。

高速ICもあるし、20万人人口の都市で、山奥ってほどでもないのに、なかなかステキな環境でした(^^)。