裁判員制度、なんかすっかり定着しつつありますね。
いつ、誰がなるかわからない世界ですから、一応書いておこうかな、と思ったコトが。
話題となった押尾被告の裁判、判決は、保護責任者遺棄罪までが有罪となり、実刑懲役2年6ヶ月。
まあ、保護責任者が認定されるのはほぼ間違いなかったし、遺棄罪についても、救急車を呼ばなかったので、ここまでは誰が見ても妥当でしょう。
問題は、遺棄致死罪、つまり遺棄したため死亡したと認定できるか、というところですが、これも全体を評価するなら、妥当と言わざるを得ません。
弁護側証人の医師の証言で、血中濃度が致死量を遥かに超えていたという具体的な証言があったため、その証言の救命率が5割以下だった事が大きかったようですね。
が(笑)、
どーも気になるのが、この裁判、医学についてあまりに曖昧なまま突っ走って…ません?
まず、MDMAの血中致死量って、そーいう医学データがあるんでしょうか?
MDMA自体、つまり薬物としての半数致死量(検体の50%が死亡する量)、ならあるでしょう。
一説で80mg/kg。通常錠剤の場合MDMA含有量は最大でも170ミリ程度として、被害者が40kg換算でも20錠前後必要になる計算です(笑)。…仁丹じゃないんだから(爆)、お腹イッパイになる量?
(ちなみにネットで致死量は60錠という説も流布してますが、これはエクスタシー換算だったような?)
これがもし純度の高い粉末を入れたカプセルだった場合は、5粒程度でも半数致死量に達した可能性があるそうですが…そーいう話は微塵も出てないですね(笑)。
で、弁護側証人は、裁判長の「致死量とは何か」の質問に対して説明しています。これは半数致死量の説明なんですね。
ところが、その前に発言している致死量(話題になったデータ)が、どうもMDMAの血中濃度が致死率の高いとされる(彼の知るデータ上での)値、の要約らしいんですよね……。完全なすり替え証言です。
これぞ数字マジック!おーい、マスコミー!(検察~!(笑))
安易に「致死量」と連発する医者も医者だし、そこを突っ込まない検察も検察。すっかりすり替え発言にだまされる裁判長…。
弁護側証人の言う致死量が、半数致死量とは違うこと、どの程度確度のあるデータなのか、いつのデータなのかくらい誰か質問しましょうよ…(したのか?新聞情報にはないけど…)さらにスルーするばかりか省きまくリなマスコミ(笑)。
まあ、医学関係者の書き込みなども見ましたが、薬物の場合、体重だけでなく常習者と初心者で耐性の違いなども大きくあるし、血中濃度自体で定量的に判断できる類の話じゃないし、有名な統計的データが存在するわけでもないらしいです。ま、そりゃそーだ(笑)。
なのになんで「8~13で助かった例はありません」なんだろう。
MDMA過剰摂取単体での統計データがそこまで断言できるほど密かに揃ってる…んでしょうか。
医学者系サイトでの話題は、もっぱらMDMA中毒症状の想定ケースが検察側と弁護側で大きく違う点でした。(重度の?)セロトニン症候群が起きていたとほぼ断言する弁護側と、なかったという検察側。まあどちらも誇張が感じられる証言ですし、どちらの救命率についてもかなり突っ込めそうなので、コメントはやめときます。
で、まとめると、
よく読めば、突っ込みどころは満載な弁護側証人の(福岡からお越しの法廷に慣れた(笑))医師の発言なんだけど、検察も軽くあしらわれちゃってる感じでした。もちろん検察側救急救命医の教授発言も同レベル以上に怪しいですが…。
こんなやりとりで、遺棄致死について(医学素人の)判断が下された事に、なんかやるせない気持ちになります。
日本人って、検事や裁判官レベルですら、被権威主義なんですね。例えば医者のいう事は自分はわからないけどきっと絶対正しいんだろう、と素直に信じてしまう…。
どっちでもいいんですが(^^;。
もし、あの時誰かがそこに突っ込んだら、もしかすると刑期は軽く7、8年くらい上乗せされたかもしれない…と考えると、ちとね。
もしあなたが、裁判員になったら…。
自分の知らない分野の話で、データが出てきたら、それがどの程度信用度のあるデータなのか、例えば致死率なら何人のデータか、くらいは聞いてください。
(MDMA血中濃度って、助かった人のデータも全部入ってるの?とか(笑)。数字なんて、いくらでも粉飾できるんです)
こんなに日本中が注目する裁判で、あんな技使う人がいるくらいです。裁判の証言はどんなエライ人が出てこようと、うっそでー?くらいの気持ちでいいかも?(笑)。
PS:
ただ、あんなに堂々と前の裁判の証言はウソですって被告が言ってましたが、偽証罪って確か3月以上10年以下の懲役じゃなかった?(笑)。
日本では偽証罪があまり争われないからって、あれをスルーする法廷って、どうなの?(笑)。
インスピレーションてのは、実際それを受けても、自分の何にどう受けたのか、が理解できてないコトがよくあります。
某ブログの閃きの話を読んだ時、来たっ(笑)、とは思ったけど、何が来たのか、どこに来たのか、もわかりませんでした(爆)。
で、見切り発車で「閃きのメカニズム」を書いたんだけど(ごめんなさいーっ!m(__)m)、おかげで少し見えてきました。
本当に引っかかったのは、某ブログの「(閃きについて)ドラマ『ガリレオ』でも似たような表現だった」って部分。
ガリレオで、オレの頭で想起されるのは、閃きシーンで書かれる数式(笑)と、映画「容疑者Xの献身」で、天才数学者・石神が壁の染みを使って数学を始めるシーン。
あのシーン、数学で1世紀未解決だったという問題「四色定理(四色問題)」を、壁の染みで始めるシーン……なのですが、正直、そんなことして何がオモシロイのか、ピンと来ませんでした。
四色問題というのは、実は説明自体は非常に簡単なんです。
「地図を塗り分けるのに、隣接する国と同じ色にしないように塗り分けると、何色必要か」
これ、昔から地図作成者には四色と知られていたのですが、数学として、つまり論理的になぜそうか、を説明できないんです。
19世紀に一度、証明したとされて、11年も経って間違いが指摘される、というなかなか恐ろしい世界(笑)。数学者どころか、理系ですらない(笑)オレは、まあテキトーに理解してたんですが、そのテキトーな分、石神の心情が理解できなかったんですね。
四色問題は、2人の学者によってなんとコンピュータで証明された、と言われています。ですが、未だコンピュータを使わずには証明も検証もできない、数学者が俗にいう「エレガントな証明」ではない。なぜそうなのかを証明していない問題とも言われています。
石神はこれを完全な証明とは思わない、と言う立場をとるわけで、それをいつか新しい証明方法で見つけようとしている……だから、壁をイメージ上で塗り分ける…。
理屈ではわかるんです(笑)。でも、それが面白い作業なのか、がわからないんです(笑)。
でも、四色問題をもう少し突っ込むと、見えてくるものがあります。
(※ここからは、とても難解な概念が散在します(笑)。わからなくても、雰囲気で読んでくださると助かります。断言すれば、オレも以下の文章を予備知識なしには理解できません(爆))
四色問題は、一度数学者ケンプにより証明されたと言われました。それはこの手の数学「グラフ理論」の基礎「オイラーの多面体定理」から始まり、「隣国は5個だけ定理」という理論をベースに導かれたもののようです。
隣国は五個だけ定理、ってのは、どんな地図にも、五個以下の隣国しか持たない国が少なくともひとつ含まれる、というもの。(一見簡単そうな概念ですが、理解するのはかなり難易度高し(笑)。興味があれば調べてください)。
ここでさらに重要なのが、「最小反例」という概念。これは、まず五色でなければ塗り分けられない地図が存在する、と仮定します。それでこの仮定の中で最小の国数の地図のパターンのこと。
この五色の仮説をたて、この検証を「隣国は五個だけ定理」上で検証するとすべて四色で塗り分けられる、と証明する方法でした。これ自体は不備を指摘されましたが、この発想をベースに、次のアプローチが生まれたわけです。
それが「可約配置の不可避集合」という考え方です。可約配置とは、最小反例ではない配置のこと。不可避集合とは、どんな地図でも必ず存在する集合定理、という意味で、先の「隣国は5個だけ定理」もそれに含まれます。で、このふたつを同時に満たす地図が存在すれば、四色問題は証明されたことになる、というもの……(笑)。
で、この「可約配置の不可避集合」の地図を探すのに、コンピュータ検証を利用したわけです。
まあ、実際にはまずオイラーの定理はもちろん、隣国は五個だけ定理の「ケンプ鎖」という理論も理解できなくては意味がわからない話で、もちろん難解な数式が出てきます。でも、雰囲気だけはわかってきました(笑)。
コンピュータ検証をせずに四色問題を証明する、それがどんなに難易度の高い問題なのか、イメージは少しだけできました。この命題を解決するには、今までの概念だけではたぶん不可能、新たな閃きが必要なようです。その閃きを模索するための原点作業、それが石神の壁の塗り分けなわけです。
で(笑)、
やっと、石神という人物がここで見えてきました(笑)。
彼にとって「数学は誰かに認められる必要はなく、その願望は数学の本質と関係ない」という境地に達したことこそ最重要で、その道を偶然にも与えてくれた親子への恩返しとして、トリックを編み出しただけ。というこの話の根幹設定の意味が、やっと感覚としてわかってきた、というわけです。
自殺まで考えた石神が、壁のイメージを「本当に」楽しめるようになった。この構図を理解するのには、やはり数学的な造詣が多少なりとも必要でしょう?東野さん(笑)。だから、この作品はやはりエンタテインメントとしては傑作じゃない。でも、ドラマとしては傑作です。
それが多少でも理解できた時、あの話のセリフひとつひとつが、猛烈な実感を持って迫ってきます。四色問題を「オレにはわからない数学の難しい問題」としか理解してなかった時には感じなかった、人の本質に迫るモノが、あの壁のシーンに込められているのです。
壁の染みをモトに地図を塗り分ける作業は、非常に単純です。でも、それをエレガントに説明はできない数学の世界。でもエレガントに説明できるかもしれない可能性が、その単純さの中に潜んでいるはず。その壮大なイメージは、もはやロマンとしか言い様がない世界です。
それは、快楽にのめり込む排他的価値観のジャンキーに似ています。でも、それでは割り切れない何かが確実にある。あるのはほんのり(笑)理解できるけど、なんなのかイマイチぴんとこない。ただそれが人の本質に関わることなのはわかってきた気がします。
彼がただの数学ジャンキーなら、恩返しも考えなかっただろうし、ラストの悲劇も存在しません。
閃きとは何か、ロマンとは何か、人とは何か。
人としてなにかとても豊かなものに触れた、そんな今夜でした。
読んでくれた方、ありがとう。
ps:
「容疑者Xの献身」では、リーマン予想、という言葉も出てきます。これは現在も解決されてない数学上の難問で、はっきりいってオレにはチンプン(笑)。ただこの関連で、NHKが作ったリーマン予想のスペシャル番組への批判記事には、大爆笑でした。
とにかくあの番組はひどすぎる、という数学者の方の意見で、内容は理解不能なのですが、その説明が痛快でした。曰く「○○にインタビューしたのに○○を質問するのは、エリック・クラプトンにGコードの押さえ方を質問するようなものだ」
以前コメで書きましたが、天才論理物理学者ランドール博士のNHK特集番組をようつべで見たのですが、まったく同じ感想を抱いたんです。天才学者に、なんの説明させてんだよ、って。そりゃ「Gコードはまず人差し指で5弦を押さえて…」って言わせてるのと一緒だろ!?と(笑)。
でもまあ、物理にしろ数学にしろ、それほどに一般とは乖離した世界なんですよね…。
