「容疑者Xの献身」の謎(難解) | Mutant-Lab

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インスピレーションてのは、実際それを受けても、自分の何にどう受けたのか、が理解できてないコトがよくあります。

某ブログの閃きの話を読んだ時、来たっ(笑)、とは思ったけど、何が来たのか、どこに来たのか、もわかりませんでした(爆)。

で、見切り発車で「閃きのメカニズム」を書いたんだけど(ごめんなさいーっ!m(__)m)、おかげで少し見えてきました。

本当に引っかかったのは、某ブログの「(閃きについて)ドラマ『ガリレオ』でも似たような表現だった」って部分。
ガリレオで、オレの頭で想起されるのは、閃きシーンで書かれる数式(笑)と、映画「容疑者Xの献身」で、天才数学者・石神が壁の染みを使って数学を始めるシーン。

あのシーン、数学で1世紀未解決だったという問題「四色定理(四色問題)」を、壁の染みで始めるシーン……なのですが、正直、そんなことして何がオモシロイのか、ピンと来ませんでした。

四色問題というのは、実は説明自体は非常に簡単なんです。

「地図を塗り分けるのに、隣接する国と同じ色にしないように塗り分けると、何色必要か」

これ、昔から地図作成者には四色と知られていたのですが、数学として、つまり論理的になぜそうか、を説明できないんです。

19世紀に一度、証明したとされて、11年も経って間違いが指摘される、というなかなか恐ろしい世界(笑)。数学者どころか、理系ですらない(笑)オレは、まあテキトーに理解してたんですが、そのテキトーな分、石神の心情が理解できなかったんですね。

四色問題は、2人の学者によってなんとコンピュータで証明された、と言われています。ですが、未だコンピュータを使わずには証明も検証もできない、数学者が俗にいう「エレガントな証明」ではない。なぜそうなのかを証明していない問題とも言われています。

石神はこれを完全な証明とは思わない、と言う立場をとるわけで、それをいつか新しい証明方法で見つけようとしている……だから、壁をイメージ上で塗り分ける…。
理屈ではわかるんです(笑)。でも、それが面白い作業なのか、がわからないんです(笑)。

でも、四色問題をもう少し突っ込むと、見えてくるものがあります。

(※ここからは、とても難解な概念が散在します(笑)。わからなくても、雰囲気で読んでくださると助かります。断言すれば、オレも以下の文章を予備知識なしには理解できません(爆))

四色問題は、一度数学者ケンプにより証明されたと言われました。それはこの手の数学「グラフ理論」の基礎「オイラーの多面体定理」から始まり、「隣国は5個だけ定理」という理論をベースに導かれたもののようです。

隣国は五個だけ定理、ってのは、どんな地図にも、五個以下の隣国しか持たない国が少なくともひとつ含まれる、というもの。(一見簡単そうな概念ですが、理解するのはかなり難易度高し(笑)。興味があれば調べてください)。

ここでさらに重要なのが、「最小反例」という概念。これは、まず五色でなければ塗り分けられない地図が存在する、と仮定します。それでこの仮定の中で最小の国数の地図のパターンのこと。

この五色の仮説をたて、この検証を「隣国は五個だけ定理」上で検証するとすべて四色で塗り分けられる、と証明する方法でした。これ自体は不備を指摘されましたが、この発想をベースに、次のアプローチが生まれたわけです。

それが「可約配置の不可避集合」という考え方です。可約配置とは、最小反例ではない配置のこと。不可避集合とは、どんな地図でも必ず存在する集合定理、という意味で、先の「隣国は5個だけ定理」もそれに含まれます。で、このふたつを同時に満たす地図が存在すれば、四色問題は証明されたことになる、というもの……(笑)。

で、この「可約配置の不可避集合」の地図を探すのに、コンピュータ検証を利用したわけです。

まあ、実際にはまずオイラーの定理はもちろん、隣国は五個だけ定理の「ケンプ鎖」という理論も理解できなくては意味がわからない話で、もちろん難解な数式が出てきます。でも、雰囲気だけはわかってきました(笑)。

コンピュータ検証をせずに四色問題を証明する、それがどんなに難易度の高い問題なのか、イメージは少しだけできました。この命題を解決するには、今までの概念だけではたぶん不可能、新たな閃きが必要なようです。その閃きを模索するための原点作業、それが石神の壁の塗り分けなわけです。

で(笑)、
やっと、石神という人物がここで見えてきました(笑)。

彼にとって「数学は誰かに認められる必要はなく、その願望は数学の本質と関係ない」という境地に達したことこそ最重要で、その道を偶然にも与えてくれた親子への恩返しとして、トリックを編み出しただけ。というこの話の根幹設定の意味が、やっと感覚としてわかってきた、というわけです。

自殺まで考えた石神が、壁のイメージを「本当に」楽しめるようになった。この構図を理解するのには、やはり数学的な造詣が多少なりとも必要でしょう?東野さん(笑)。だから、この作品はやはりエンタテインメントとしては傑作じゃない。でも、ドラマとしては傑作です。

それが多少でも理解できた時、あの話のセリフひとつひとつが、猛烈な実感を持って迫ってきます。四色問題を「オレにはわからない数学の難しい問題」としか理解してなかった時には感じなかった、人の本質に迫るモノが、あの壁のシーンに込められているのです。

壁の染みをモトに地図を塗り分ける作業は、非常に単純です。でも、それをエレガントに説明はできない数学の世界。でもエレガントに説明できるかもしれない可能性が、その単純さの中に潜んでいるはず。その壮大なイメージは、もはやロマンとしか言い様がない世界です。

それは、快楽にのめり込む排他的価値観のジャンキーに似ています。でも、それでは割り切れない何かが確実にある。あるのはほんのり(笑)理解できるけど、なんなのかイマイチぴんとこない。ただそれが人の本質に関わることなのはわかってきた気がします。

彼がただの数学ジャンキーなら、恩返しも考えなかっただろうし、ラストの悲劇も存在しません。

閃きとは何か、ロマンとは何か、人とは何か。
人としてなにかとても豊かなものに触れた、そんな今夜でした。

読んでくれた方、ありがとう。

ps:
「容疑者Xの献身」では、リーマン予想、という言葉も出てきます。これは現在も解決されてない数学上の難問で、はっきりいってオレにはチンプン(笑)。ただこの関連で、NHKが作ったリーマン予想のスペシャル番組への批判記事には、大爆笑でした。
とにかくあの番組はひどすぎる、という数学者の方の意見で、内容は理解不能なのですが、その説明が痛快でした。曰く「○○にインタビューしたのに○○を質問するのは、エリック・クラプトンにGコードの押さえ方を質問するようなものだ」
以前コメで書きましたが、天才論理物理学者ランドール博士のNHK特集番組をようつべで見たのですが、まったく同じ感想を抱いたんです。天才学者に、なんの説明させてんだよ、って。そりゃ「Gコードはまず人差し指で5弦を押さえて…」って言わせてるのと一緒だろ!?と(笑)。
でもまあ、物理にしろ数学にしろ、それほどに一般とは乖離した世界なんですよね…。