矢田寺 その2 | 無趣味男の趣味日記

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6月7日に奈良県大和郡山にある矢田寺を参拝しました。


矢田寺の正式の寺号は、矢田山金剛山寺といい、高野山真言宗の寺院。
本尊は地蔵菩薩。

寺伝によれば、大海人皇子(後の天武天皇)が壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳四年、勅願により智通が開基。
七堂伽藍四十八坊を造営し、十一面観音と吉祥天を安置したという。

弘仁年間、満米により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えた。


『矢田地蔵縁起』
嵯峨天皇の臣の小野篁は、身は現世のものだが、魂は閻魔大王に仕えるという不思議な人で、満米上人の徳を慕って、しばしば当寺へ詣でていたという。
ある時、閻魔大王が「自分には三熱の苦しみがある。この苦しみから離れるために菩薩戒を受けたいので、適任者を探すように」と篁に命じた。
篁は、満米上人にこの話を伝えて、閻魔庁へと案内し、上人は閻魔大王に菩薩戒を授けられた。
閻魔大王は非常に感激し、そのお礼として、上人の希望により、自ら地獄を案内してまわられた。
上人は恐ろしい地獄の中にあって、あらゆる苦痛にさいなまれる亡者を見て身の毛もよだつ思いであった。
この時、燃え盛る炎の中にあって、生身の菩薩が亡者の身代わりとなって、地蔵の責め苦を受けておられる姿を拝し、たいそう心をうたれ、礼拝し教えを請われた。
その菩薩は「私は地蔵である。苦果を恐れるものは我と縁を結ぶべし。我が姿を一度拝し、我が名を一度唱える者は必ず救われる。」と答えられた。
上人は菩薩の教えに随喜して閻魔庁を辞し、矢田寺へ戻ると、早速に仏師を呼び、そのお姿を刻まれた。しかし、どうしても思うように掘ることができず、神仏に祈願の日が続いた。
ある日、四人の翁があらわれて、大きな桐の木に三日三晩のうちに、地獄で上人が拝んだそのままの地蔵菩薩を造り上げた。
驚く上人に、翁らは「我らは仏法守護の神である。」と告げ、五色の雲に乗り、奈良の春日山へと飛び去られた。そのため、この尊像は春日四社明神の化身の作と伝えられている。

また上人は、閻魔大王と別れるとき、お土産に不思議な手箱と印文を授けられた。
この手箱には米が入っており、上人がいくら使われても、常に米が箱いっぱいに満ちていたことから、人々は満米上人と尊称するようになったと伝える。