先週の今日、ちょうど今頃はひよちゃんの外来から帰ってきて、ほっとしたところだった。
少しずつの歩行器使用が許可されて、足は不自由でもこれから生きる20-30年のヒヨの人生を考えて、まだベビーだから適応能力も高いだろうからと、未来への希望を持っていた。
私もひよも待合で長時間になって熱中症気味だったですが、それでも未来を夢見ていた。
ヒヨの未来が輝かしいものになるように、帰り道の道路も陽の光でキラキラ輝いて見えた。
道路沿いの建物の隙間に見える木苺を見つけ、週中にはヒヨちゃん連れてリハビリとイチゴ摘みに出かけようと家族にメッセージを入れたりしていました。
月曜日に亡くなって、火曜日に火葬するなんて全く想像してなかった。
すぐに悪夢に変わる夢ならば、たった一日の希望なら・・・そんな夢を見なければよかった。
ヒヨの体調全般に関しての科学的根拠のない希望が、ヒヨの急変に気づかせなかった。
そして今も私を苦しめることになる。
・・・いつになれば、仕事に取り組んだりできるようになるのだろう。
日本軍大勝利の希望を持って敗戦した日本人達も同じ気持ちだろうか・・・。
ヒヨちゃんが怪我をしてから、ずっと絶望的な毎日を過ごしていましたが、初めて希望に満ちた夜を過ごしたのでした。
数時間後には悪夢になるというのに。